Jiro Sakamoto

2018年11月27日10 分

生まれて初めて鶏を絞めました。ペットとして飼っていた可愛い鶏を絞めてから解体するまで、、、

最終更新: 2019年3月15日

11月25日、僕は生まれて初めて食べるために動物を殺生しました。

(魚はすでにやったことありますが・・・)


 
この日のことを文章に残したく、また、この時感じたことをシェアしたくブログに書き記すことにしました。うちの子たちの無惨な様を写真で公開して見世物にしたくはないので、今回、解体中の写真はナシです。

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殺した鶏はオス3羽、というのは9羽中がオスが5羽だったので最も大きいオス2羽のみ残して選びました。
 
メスは毎日新鮮な卵を産んでくれるので、まだ絞めません。
 
付けていた名前はジャッカル、ブランコ、そしてもう一羽は名前無し。たったの0歳6か月ではあるけれど、うちで放し飼いをしていて良好な食材を食べているので、かなり大きいサイズに育っていました。

(絞めたのは上の写真の右の白い奴と奥のカラフルな二羽、これが3か月以上前の写真なので、今は正面の親父と同じくらいの大きさでした)

まさに、この日まではペットとして飼っていたものだった。
 
春の時期、毎年ここに住んでいるクリちゃんが、主である僕のGoサインも出してないのにも関わらず、いつの間にか鶏小屋を作り、ここの農家さんからひよこをもらってきて、仕方ないからそのまま飼うことにしました。ピヨピヨ言っている可愛い鶏を7羽放し飼い、去年の冬は野生の動物に盗まれ、3羽にまで減りましたが今年カワイイひよこが6羽生まれたので、9羽育っていました。
 
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放し飼いしているのでどいつもこいつも普通の鶏よりも大きくて筋肉ムキムキ、運動神経は抜群です。
 

 
ウ〇コ掃除は大変だけれど、毎日毎日新鮮な卵を食べれるし、その鶏が縦横無尽に歩き回っている非日常で自由な感じはお客さんも大変癒されていたようです。が、今回僕は鶏を絞めることにしました。
 
それは一度キチンと命を頂くということに向き合ってみたかったからです。
 
日本ではかなりマイノリティだと思いますが、世の中にはベジタリアンだとかビーガンだとか食に意識の高い人たちがいます。
 
僕は福岡の田舎で生まれ育っているので、少年時代からの夢はラーメン屋(とんこつ)を開くことでした、これ、地元の少年でよくありがちな夢です。自衛隊で貯めたお金でいつかは・・・と思っていたし、世界放浪中もそう思っていました。
 
しかし、27歳のとき、ニュージーランドワーホリでゲストハウスマネージャーとして働いていた時のオーナーがベジタリアンだったこと。その時は海外放浪も4年目、その時ぐらいになってやっと、ある程度深みのある会話ができるくらい英語が上達していたこともあり、その時期に出会ったヒッピー達との会話によってそういう世界や思想を学ぶことになりました。経済とか環境問題とか、動物愛護とか・・・・
 
その影響により、とんこつラーメン屋を開くという夢はあきらめることにしました。別に自分がラーメン屋をやろうがやるまいがこの世の中の仕組みが何か変わるわけではないけれど、自分が大量に動物を殺すのを先導するようなことを商売にする必要はないなってとこです。
 
とはいえ、僕はベジタリアンでもなんでもありません、強いて言うなら付き合い以外ではあまり肉は食わない、買わない・・・・くらいでも普通に一番好きな食べ物はとんこつラーメン、、、それをフレキシタリアンとか言ったりするそうですが、、、
 
僕は肉を食べる、なので今回は肉を食べるということがどういうことなのかということをしっかりと向き合ってみようと思ったのです。そして、、、もし食べるために動物を殺せないのならベジタリアンになろう・・・と心に決めていました。
 

 
11月25日、この日は上鹿子尾地区(笠原で霊巌寺より上の地区)による森林伐採行事に合わせて飲み会があるということでこの日はいつもお世話になってる方たちに僕から食材提供するいい機会だったので、前々からそういう風にアレンジできないかと相談していたところでした。
 
ちゃんとその予定が確定はしてなかったけれど・・・その日の朝、大橋さん(僕を笠原に来るように招待してくれた方)から連絡がありました『午前中までに鶏を絞めてもってきなさい・・』と
 
ちゃんと心の準備ができてない状態でいきなりそう言われました、しかし鶏は朝一で小屋から解放していたので捕まえるところから始めないといけない。
 
それに笠原には鶏をさばける先生はたくさんいるけれど、さすがに喜んでやってくれるという人はなかなかいない。
 
となりのじーちゃんばーちゃんもやりたくないという・・・・あの二人優しいからなー、さすがに可愛がってたペットは殺しきらんよなー。
 

 
なので、ずっと長期で滞在してくれていたシュウちゃんと、前日にお客さんとして来ていた松尾さんという若いたくましい女の子。
 
3人で協力しながら鶏を誘導して捕まえる。
 
まずは一羽捕まえ、抱きかかえながらガムテープで目隠しをする。そして縛り上げつるし上げる。
 
・・・・・・
 
その時、何とも言えない気持ちになった。今までペットとして飼っていたものがこれから殺されるためにつるされている、もちろんつるしたのは自分だけれど・・・
 
そして、これは今回、大きな失敗、一度兄弟がそうなっているのを見みてしまったらもうほかの鶏たちは恐怖を覚えてしまい、それ以降は今までみたこともないようなスピードで逃げまわる
 
全然捕まえれないものを協力し合いなんとかかんとか捕まえる。
 
そして2羽目を捕まえたとき、それは今まで聞いたこともないような大きな声で泣き叫ぶ・・・・これはもう本当に反省。ものすごい声で泣き叫ぶ鶏に対し、、、ただ『ごめーん、ごめーん』とこちらも叫びながら
 
3羽目も同じ・・・そして何とか3羽吊るし終えた。
 
包丁も段ボール箱も用意し、準備万端。シュウちゃんも同じように一度はやってみたいというから分担してやることにしていた。
 
もちろん『最初は俺が行く!!』と意気込んで包丁を握った僕ですが・・・
 
ここにきてなんだか気分が悪くなってしまう、、現代社会で生まれ育った軟弱な僕にとってこれはあまりにもハードすぎる。自衛隊時代に最も過酷と言われるレンジャー教育でも行っていればこういう経験はすでにやっていただろうけれど、僕の原隊は僕をレンジャーに行かせるようなことはしなかったのでそのチャンスはなかった。
 
今まで、いろんなことに挑戦してきたと自負してはいる僕ですが・・・これはさすがにキツイ。いくつかの村でこういう現場は見てきたけれど、実際に自分の手によって殺める、ましてそれはいつもそこらへんをよちよち歩いている可愛い奴ら。
 

 
心臓がバクバクし、呼吸するのもしんどくなってきた、なんだかめまいもを感じてきた。
 

 
それを察したしゅうちゃん。『俺が先にやろうか?』
 
といって選手交代。
 
包丁を渡すと・・・・びっくり、しゅうちゃんなんの躊躇もなくあっさりとクビを切った。
 
首を切り取ったあと、首のない鶏はしばらくバタバタともがいている、羽を縛っていたひもが緩んでしまい、血しぶきがあたり一面に飛ぶ、しゅうちゃんが血しぶきで染められていくのを見た。
 

 
!!???
 

 
なんだこの人???鬼か?
 

 
いや、ちがう、そうだ、そうだよな・・・・そうあるべきなんだ。
 

 
そして、二羽目は僕が包丁を持ち、生まれて初めて動物をこの手で動物を殺める瞬間。ブランコという名前を付けていた白のニワトリ、


 
包丁を入れるけれども、なかなか切れない、、、
 

 
少し切れたとき、なんと・・・激しく暴れられ足を縛って吊るしてたロープが緩んでたのか鶏が落ちる。
 
半分首が切れた状態で・・・走って逃げまわる・・・・しかし目隠しされているため逃げれるわけはない・・・・
 
それを、なんとか取り押さえる、、ひたすらごめーんと叫ぶ僕、もう何ともやるせない気持ちになった。
 
むごい・・・むごすぎる
 
もうやりたくない、いやしかしやらねば、早く終わらせて楽にしてあげないと。。
 
しゅうちゃんに足を持ってもらい、そのまま思い切ってクビを切り落とした 。
 
そして3羽目も同じ。
 
首を切り落とした後も吊るされて必死でもがいている鶏、羽を縛っていたロープの縛りが下手くそだったからなのか、ゆるい奴はそれがほどけて力いっぱい羽をはばたかせ、あたり一面に首からの血しぶきが舞う、
 
解体するときには首があったほうがいいみたいだけれど、流石に僕は無惨になった彼らのその顔を直視するほどの強心臓ではないので、そのまま全部クビは切り落とし、ガムテープをほどいた後は土の中に埋めてあげた。
 
そして、完全に動かなくなり、血も滴らなくなった・・・・
 
さっきのさっきまでそこらへんを平和に歩いていた鶏たち、それが全部処刑台に吊るされ、クビはなくなり動かなくなり、見るも無残な姿に。
 
人間はなんて残酷なんだろうか??? いやこれが弱肉強食、本来自然にあるべき姿なのか???
 

 
そしてロープをほどき、それを箱に詰める、もう頭の中がぐちゃぐちゃだった・・・・ペットたちが、無惨な死体になった、しかもそれをやったのは自分
 

 
それを車で大橋先生のもとへ届け、解体の仕方を教えてもらいながら実践する。
 
まずはぐつぐつわいているお湯につけ、羽をむしる。そのお湯がおいしそうなチキンスープのようなにおいになっていくあたり、何とも言えない気持ちだ。
 
完全にむしり取った後はアジアのマーケットなどでよく見たことがあるもの、日本ではあまり見ない姿ではあるけれど・・・食材だ。
 
そこに来てようやく、命が食材になったことをちゃんと理解できた、そして解体する。今までほとんど見たことない、鶏の中身、、、手羽先、砂刷り・・・どこからどう来てるのか初めて知った。
 
完全に小さいサイズにまで解体し終わったあとは、その食材を婦人会に申し送り、料理していただいた。
 

 
そして、夕方の飲みの席で、みんなにおいしくいただいた。自然豊かなところで良いエサを与えられ放し飼いをされていた、いうなれば最高級の地鶏。その刺身は今まで食べたことがないほどコクがあり歯ごたえもよかったんだけれども何ともいえない、素直においしいとは言えなかった。
 

 

 
以上、生まれて初めて自分の手によって食べるために命を奪った日の日記でした。せめてもうちょっとちゃんと恐怖を感じさせないように、苦しむ時間が少なくて済むようにアレンジしてあげればよかったと後悔しています。
 

 
現代の僕たちはこういう機会に触れる機会がなくなっています、お肉がどこからどう来ているのか、わからないでいただいてる。僕が知ってる限り、特に経済大好きな日本社会はこういうことに対する意識がものすごく低いと思います。
 
僕たちがご飯を食べていくために、見えないところでどんなに残虐なことがあっているのか。
 
食肉工場といわれるところで大量生産大量消費されている命、それを見る機会がないまま食べている多くの人たち。
 
僕はこれからも肉は食べ続けますし、自然界は弱肉強食なので、人間が動物を食べることが悪いこととは思っていません。でも、こうやって一度命を頂くということがどういうことなのかを知るというのは本当に大切なことだと思うし、できれば高校あたりの学校教育などに取り入れてみんなちゃんと向き合える機会があってほしい。
 
『これができない奴は肉を食う資格はない、ベジタリアンになるべきだ!!!』
 

 
とか友達が減りそうな主張をするつもりはありませんが、せっかく、ここゲストハウスでこのような色んな人が人が集まれる場所を作れたこと。
 

 
今回の反省を生かし、来年からは定期的に外からやってくる人にもそういう機会に触れれる環境を提供できればいいなと思います。                                                                                                                                       

#鶏 #パーマカルチャー #鶏放し飼い                                                                                                

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