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彼の物語

原書:『流浪與靜止的藝術』黃于洋

彼との出会いはとある晴れた夏の日の午後、アムステルダムの路上でのことだった、

ゆったりとした空気の中、界隈の人々はビールを片手に賑わっていた。

 

そこで偶然出会った興味深い人、何か奥底に秘めたエネルギーを持っていそうな風貌と

日本人特有の落ち着いた雰囲気を持ちあわせていた彼にどこから来たのかと話しかけてみた。

 

「ああ、自転車でローマからここまでやってきたんだよ」

 

私は衝撃を受けた、その時はただ、ワイングラスを片手に、彼をじっと見つめることしかできなかった。

静かに、穏やかに、優しい口調で何か普通じゃないことを言い出す。

私の記憶の中での彼はそんな人だった。

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私がいつも思っていたのは、こんな突拍子もないことをする人はきっと、普通じゃない環境で育ったんだろう。

例えば子供の時から、夢は『世界放浪の旅』だとかチョークで黒板に書きなぐったりするような突拍子もない子供、、、

 

だけど、彼はの場合はその反対だった、福岡の片田舎の普通の家庭で生まれ育ち、

まるで1・2世代前の人たちのように古臭い考えが根付いていたものだという。


 

『男は強くあり、家族や国を守るものだ』

 

独り立ちがしたくて18になると、自ら志願して自衛隊に入隊した。

選択ミスは許されない、選んだ職業は最後まで全うする、、、、

それが当然だと思っていた。

 

自衛隊在職時代、彼は広島、滋賀、佐世保、京都、東京、横須賀、習志野など、日本中さまざまな場所へと駐屯していった。

 

ある年、彼は沖縄の部隊へと配属されることになった。

青い空と青い海が広がる南国の楽園に魅了されては、余暇を利用して愛用のバイクで島中を走り巡り、休暇ができると離島へと訪れたりもしたという。

そこでの旅人達と出会いは彼のハートを刺激することになった。

 

生まれて初めて出会うタイプの人たち、彼らのユニークなキャラクターや人生観、、、

好奇心旺盛な彼にとって、世界中色んなところに行ってみたいと言うのは昔からの夢でもあった、、、

 

しかし現在自分の置かれている環境や責任感、、、

それは現実的には不可能なことであり、自分の責任を全うしたあと、つまり定年退職後の楽しみかな、、、

と敬遠していたステップでもあった。

 

しかし、そんな刺激を受けてしまった以上はやはり気になって仕方ない。

自衛隊在職5年目にてある程度の階級まで昇進してたこともあり、運良く次の休暇で9連休をもらえたので、部隊長の許可を得てパスポートを取得し、23才、生まれて初めての海外に出ることにした。目的地は沖縄から一番近い海外、台湾。

 

その時の彼はもちろん中国語や英語など何も喋れなかったけれど、それは彼にとって強烈な印象を受ける旅となったという、初めて触れる知らない言語、食べたこともない、食べれると思ってもいなかった食べ物、すべてが強烈なカルチャーショック、また親切で温かい台湾人や他の国から来た旅行者との出会い、、、

初めて海外の旅を味わった彼はすっかりとその面白さを知ることとなり、次の休暇ではその時に出会った香港人の友人に会いに香港へ、、、そして、その次の休暇ではタイ・カンボジアへ、、、、

 

アジアの観光の代表格とも言えるアンコールワットの壮大さに感動する、、、

そして、その旅行で現地の村を訪問した時の衝撃は今でも忘れられないという。

 

正直にいうとはじめはカンボジアの人々のことをかわいそうだと思っていた、物質的には貧しく、当たり前だけど自分達みたいに誰もがこうやって海外旅行に行きたくても行けない環境にある、、、

 

だけど、実際に訪問してみると、その常識をひっくり返されることになった、子どもたちはボロボロの服を着て、いや服なんか着ないでも日が暮れるまで走り回っては、夜はみんなでご飯を食べ、その後は誰かの家に集まって語り合って歌い合う。

もちろん家も食べるものも質素ではあったけど、大人から子供まで、みんながみんな満面の笑顔。

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初めて自分が持っていた常識を疑うことになった。

世界でもトップレベルにある先進国であり医療は発展し、

美味しいものを食べ、物質的には豊かな日本、だけどこれは一体??

沢山の日本人はこの洗練された社会で生きるために必要に応じてマスクを被り、

日々の忙しい仕事に追われ、疲れた顔しているように見える、、、はっきり言ってここで見たカンボジアの人たちのほうがよっぽど幸せそう、、、どういうことだろうか?

自分が当たり前のように持っていた価値観、、、これは違うのだろうか、、、

わからない、その時、彼の中で心の奥底に思っていた何かが弾けた。

このまま知らないままこの環境にいるのは嫌だ、、、その旅で涙を流した。

 

自分の置かれてる環境によって自粛するのではなく、

自由の選択により生きたいように生きれたらどんなに素晴らしいだろうか。

 

その旅は彼の背中を押してくれる旅となった。

 

自分が今まで培ってきたものを捨てる勇気、そして安定した暮らしを捨てる勇気、時間はかかったけれど、一度決心してその一歩を踏み出せたら早い、もう動くしかなくなる、怖いものはない、

人生は一度きりなんだから自分が選択した道を進みたい。

せめてやらない後悔よりもやって失敗するほうがマシだ、、

 

なんとなくそれは本能的にわかっていたんだろうか。

それから帰国するやいなや、依願退職を申し出、

その3ヶ月後には6年続けた職をやめることになり、同じ月に日本を離れることになった。

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『24才、新しい人生の幕開け、夢だった世界放浪の旅へ』

 

最初の目的はカナダワーキングホリデー

それまでの道中、当時憧れだったアメリカを放浪した

ハワイの観光地では早食い競争に飛び入り参加で優勝して賞金稼いだり

スカイダイビングやったり、友人とともにルート66を車で横断したり

カッコつけてはハーレーダビットソンにまたがり大陸を駆け巡る、この時に砂漠の大きな丘を超えてラスベガスに到着した時に見た夜景の海は今でもしっかりと目に焼き付いている。

ただ若さに身を任せて、やりたいことは全部やってしまう勢いで縦横無尽に大陸を駆け巡った。

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そしてカナダワーキングホリデーでバンクーバーに到着

 

ボロボロのスラム街のようなところにて住む場所を確保し、当時は英語はサバイバルレベルにしか喋れなかったために苦労はしたけれど、なんとか職にありつくことができた、現地カナダ人のレストランにて皿洗いだった。

油っこいキッチンを走り回り、運ばれてきた皿を次々と皿洗い機にかけて行くという単純作業だったけど、同僚には恵まれ、英語環境に慣れるためにはありがたい環境だった。そして仕事の合間を縫ってはひたすら独学で英語を勉強。

それは端から見たらけして良い環境とは言えないかも知れないけれど、彼にとっては毎日が充実していた青春の日々だった。

 

冬はオーロラの見える町として有名な極北イエローナイフにて観光業の仕事。

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ほんの最近まで軍隊の鳥かごの中にいた時からは全く想像も出来なかった。

今ではこんな雪国で犬ぞりをひいてお客さんを案内しながら毎日オーロラを追いかけているなんて、、、

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当初の予定では、一年間現地で英語を勉強して、しっかりと働いてお金を貯めたお金でカナダを横断する予定だった。

 

しかしその時に起きた大きな事件が311の地震だった。

 

沢山の人々が無残にも亡くなられた。もちろん、元同僚達もほとんどが復興支援として出動していったという。自分も遠く離れた場所からでも何か自分にできることで助けになりたいと思った、だけどどうすれば、、、

 

そして思い立ったのが、もともとカナダを横断するためにワーキングホリデーで働いて蓄えていた分の旅費。

これを寄付することにした。

 

旅費はなくなってしまった。だけど指一本あればヒッチハイクで旅ができるだろう。

道路上に立ち、止まってくれた運転手にこう言うんだ。

 

「止まってくれてありがとう、僕は日本からの旅行者でカナダを横断していたんだけど、知っての通り自分の国が大きな地震で大変なことになってしまって、旅費を全部寄付してしまったんでお金がなくなってしまったんだ、もし車にのせてくれるのであれば、それは関節的に日本を助けるってことになる。載せてもらっても・・・良いかな?」

 

初めてのヒッチハイクの旅がカナダ横断だったけれど、

色んな困難を克服しつつ、親切な人に助けられ、見事に成し遂げてみせた。

勇気をもって自分の快適なエリアから一歩外に抜け出してみる。

そして、ワーキングホリデー制度を利用し、違う国に住んで働く、そして最後の2ヶ月間の太平洋から大西洋までのヒッチハイクでの大陸横断の旅はきっと彼の人生の中でも大きな糧となったんだろう、、、、

 

本当に素晴らしいチャレンジだったんだな。

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彼の魅力的な昔話に聞き入っていたために、自分のティーカップが空になっていることに気づかないでいた、彼は再びティーポットをキッチンから持ってきた。

彼に聞いてみた「そしてその旅が終わった後はどうしたの?」

ゆっくりとお茶を注いだ後に彼は答えた

「そのままグアテマラまで南下してスペイン語留学してたかな」

・・・・・私は驚きと同時に笑いを止めることが出来なかった。

 

​・・・・・


 

『1005日にわたる放浪の日々・・・』

 

バックパックを担ぎ、ラテンアメリカの土地を渡り歩く日々。

メキシコの路上で疲れた肩を休ませて途方にくれることもあったり

時には高山病や食あたりにて体調を崩すこともあった

幾度か危険な目にもあった

 

だけど、イースター島の有名なモアイ像の後ろの水平線から登る朝日に感動したり

アンデスの6000m級の山々を登頂したり

ウユニ塩湖、イグアスの滝、パタゴニア、マチュピチュ、行きたかったところは全部行った、

知らないところへ行く楽しみ、止まらない好奇心。

日本に帰ることなんて微塵も考えてはいなかった。

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『始まりがあるものには必ず終わりがくる』

 

すでに日本を離れ2年半が経過

一年近くいたラテンアメリカの旅を終えると、そのままヨーロッパへと飛んだ。地球を半周して、新しい章の幕開けだ。

ここまでの長い道のり、旅を始めたことによって彼の世界は大きく変わっていた。

はじめは何も出来なかった、外国語なんて何も喋れなければ、日本中、海外に何もツテなんてなかった、ましてや世の中どう動いているのかなんて何も知らなかった。世界中の風を感じ、歴史を学び、見聞、知識、そして何よりも一番大切なのはそこで得た人と人とのつながり。


 

今では沢山のものを習得し、そして何より人生の充実感と自信に満ち溢れていた。

これを何らか形で次なるステップとして繋げたい。

 

「好きな仕事で食っていけたらどうだろうか・・・という一心でもう一度カナダでやった時の犬ぞりガイドの仕事をしたくて、北欧まで就職活動に行ったんだ。北極圏まで飛び、しばらく腰を据え、手当たり次第色んな方法で職にありつく努力をしたんだ、、、だけど、結果無理だった、あの時は若かったな、ちょっと無謀な挑戦だったよ。」

 

そう言って彼は穏やかに笑ってみせた。

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『1005日ぶりの帰国』

 

飛行機を使えばものの10時間で到着することもできたんだけど、あえてゆっくりの旅。

北極圏からモスクワまで下り、シベリア鉄道に乗って、モンゴル、中国を経由し、

最後は青島から船に乗って日本へ帰る道のりを選んだ。

最後の船旅にて、1005日ぶりに日本から登る朝日を船の甲鈑をから見た。

それは、言葉ではけして表すことの出来ない、忘れられない感動の瞬間。

 

その時の彼は普段とは違う無邪気な感じで、ただ満面の笑みでその時の写真を私に見せてきた。


 

それがすべてを物語る。

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ふと、彼は指を数えてみた、高校を卒業し、自衛隊で日本全国を転々と、そして海外放浪の旅。

よくよく数えてみると、9年ぶりだった。

 

彼は実家に戻ることを決心し、両親と暮らしながら家族で自営する建設会社の手伝いとして働いていた。

もちろん、彼が予想していたとおり日本社会に帰ることははじめはものすごい違和感を感じたけれど

次第に元の生活へと慣れていく。

まるでそれまでの長い長い旅していたことが夢だったかのように・・・

しかし、その半年後のことだった、衝撃的な事故が起こった。

実の父親が仕事中に事故を被って亡くなってしまう。

彼は職を失い、ゆくゆくは自営していた会社もたたむことになってしまった。

すべて軽い淡々と語ってくれてはいたけれど、それがもし私だったらと想像したら、ショックで辛かった、言葉にすればたったの一言二言ではあっても、今の私には計り知れないほど深く、きっと一生かかっても拭い切れない傷かも知れない

私はただ、彼に畏敬の念を現した、、、だけど、彼はそんなことを求めているわけではない。

恥ずかしながら、ただ唯一私ができることはこの物語をできるだけ鮮明にキーボードに打ち込むことだけ、、、





 

それは夢ではなく紛れも無い現実

初めてこれほどまでに身近な人のいきなりの死に直面し、深く考えさせられた

 

人はいついなくなってしまうかわからない、命は儚いものであって、人生は思っているほど長くはない、だから一度きりの人生、自分の生きたいように生きるべきだろう、そして、もし何か達成したい目標があるのであれば今この時を無駄にするのではなく進むべきだ。

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『まだまだやりたいことは沢山ある、やろう!』

 

彼の父親の死は再び彼の背中を押してくれた。前回の世界一周の旅から帰ってきた約一年後、押し入れの中にしまってあったバックパックを取り出し、再び荷造りを始めた。

 

二度目のワーキングホリデー、ニュージーランド・・・

トレッキングで山から山を渡り歩き・・・

そこで行き着いた小高い丘の上の屋敷でしばらく働いたりもした・・

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時には、さよならは言わずにまた別の場所へ

まるで渡り鳥が北から南へ夏を求めて渡りゆくように

 

北極圏の美しい空気、太平洋の青海原、シベリアの大雪原、ラテンアメリカの夕焼け、美しく舞う花びら、または春の訪れを待つ土壌の中の新芽・・・

この世に散らばる無数の美しい宝物を探し求めるように彼は歩き続けた。

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『放浪が生活そのものになってしまった時、最も難しいことは立ち止まることだった。』

 

毎日、毎月、毎年、動き続ける終わりなき旅。

旅はいつだって目的があるとは限らない。

だけどそれでいい、それこそが彼が求めた人生だった、ただひたすら足を止めないこと。

新しい場所、新しい刺激・・・再びアジア、そしてヨーロッパを渡り歩いた。

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ヨーロッパではサンチアゴデコンポステーラの巡礼路と呼ばれる道を歩いた。

12世紀から今日まで、信心深いキリスト教徒達が聖地を目指して歩き続けてきた道。

フランスからスペインの国境にあたるピネレー山脈を越えて、距離にして約800kmほどの道のりだった。

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結局・・・二度目の放浪の旅に関して言えば、その巡礼路を完歩した後は旅を途中で中断し、日本に帰ることにした、それは不幸な知らせがあったからとか、特に帰らなければいけない理由があったわけでもない。

 

 

それは彼の望んだことだった。


 

何を思い立ったのか、それ以降、彼は祖母の残してくれた小さな家に住むことを選択した。

それは山と川に囲まれ、お茶畑があたり一面に広がる日本的な原風景の残る小さな町にひっそりと建っていた小さな家。

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心地よい川のせせらぎが四六時中聞こえてくる、そこの家の庭に小さな畑を耕した。

 

やりたいこと、行ってみたいところ、それを全部全うすることは終わりのない旅である。

それは、求めれば求めるほどに次から次へと欲が湧いてくるからだ。

そこで感じた気付き、物理的には動いていたとしても、

それを続けることは結局自分の中ではどこにも進んでいないのと同じである。

だから思った、そうではなくて今まで道中で学んだ価値観を大切にしながら、新しいステップとして、培った過去の経験から何かを生み出すことがしたい。

彼の父親は彼を旅に出させることで、何かそんなものを学んでくることを望んだんじゃないかとも思う。

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『彼が思う幸福とは』

 

彼が帰ってきてはいきなり祖母の家を受け継いでそこで生活をすると言った時、彼の家族の皆が皆「やっぱり長いことフラフラして頭がおかしくなってしまったのか??」と思ったそうな。

家自体は長いこと空き家になっていて、かなり人の手が必要なほどに痛んでいたし、数ヶ所雨漏りもしていた、冬の間は隙間風から入ってる冷気と格闘したり、庭中から草が背の高さまで生い茂っていたものだ。

 

はっきりいって快適に住めるような状態ではなかったという。

 

だけど、紛れも無くそこにあるものが自分のルーツであり、彼にとっては何にも変えられない価値があった。

少しずつではあるけれど、自分にできる範囲で家を修復していく・・・

 

今となってはその家は先祖の魂と彼の魂が見事に調和した魅力的な家になっていた。

先祖が残した伝統的なものと彼のこれまでの旅路で出会った新しい風、沢山の思い出達。

庭もしっかりと管理されていた。

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ある日、彼はその小さい庭で畑仕事をしていて、その夕方には畑から取れた野菜をもってきた、

そして私の隣でその土を洗い流しながらこういった。

 

「きっと、人と土ってのは目に見えない強い絆で繋がってる思うんだよね、

何故かわからないけど土を触っている時が一番生きがいを感じることができるから」

 

彼の簡単な一言一言に深みを感じる。

そんな小さな幸せを最大限に感じているようだった。

 

少し肌寒いある夕方、たまたま同じ日に彼を訪ねて来た世界中からの旅人達と一緒に夕食を囲って談笑した。

今となっては日本中、世界中から沢山の旅人が集まるユニークな家になってしまったという。

 

彼は言った。

「自分は今までの旅路の上で沢山の人に助けられた、数えきれない恩があるんだ。そして偶然なのか運命によって導かれたのか、こうやって日本に戻ってきたんだ、不思議なもんだよね、一時期は絶対に日本には帰らないと意地はってた時もあったのに、、、今はこうやって遠くからでも遊びに来てくれた人たちと触れ合いながら、大好きなこの町の良さを伝えることができる立場として、少しずつ与えてもらった恩を返すように、ここで暮らしてること自体がこの上ない楽しみなんだよ」

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次の日の朝、私たちは中心街まで出かけた。

まるで、映画で見たかのような伝統的な美しいまちなみを歩いた。

そこから更に車で走り、山あいの村へと向かう。

あたり一面にへばりつくように広がるお茶畑が本当に美しい。

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その集落は古くからお茶の産地として繁栄していったという歴史をもつ、中国からお茶の種が伝来されたとされる寺を参拝したあとに、裏にあった山を登り、見晴らしのよい頂上にて彼はその土地の歴史を語ってくれた。

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『自然に恵まれた場所で、太陽や食物に感謝しつつ、そこにいる人達とつながりを感じながら生きる』

 

シンプルなことではあるけれど、結局はそれが本当の幸せなんじゃないかと思う。

 

物質が発展したことによって、生産性は格段に上がり、物質的には豊かになった。

だけど便利で余裕のある生活が出来るようになったのかと言えばそうでもない、

生産性は上がってるのに不本意ながら人はどんどん忙しくなっていってしまっている。

それはきっと、社会全体が現状で満足するようなことをせず、さらなる豊かさを求め、

さらなる競争を繰り返しているからなんだろう。

結果、そんな便利さと引き換えに多くの人がもともと持ってたはずの幸せを忘れてしまった。

だけど今、ゆっくりではあるけれど、多く人がそれに気づきだしていると思う。

その他にも彼とは数えきれないほど沢山の有意義な会話を交わした。



 

・・・・・


 

私はこの記事を書き終えると、パソコンを閉じ、熱いお湯をティーポットに注いだ、

そしてじっと静かに茶の葉が開くのを見届けたあと、彼が作ってくれたそのお茶の味をあじわう。

 

そして机の上にあった紙とペンと取り、あの時彼が言っていた言葉達を書き留めてみた・・・・

原書:『流浪與靜止的藝術』黃于洋

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