• Jiro Sakamoto

第28話、阿蘇100kmマラソンを完走した感動

最終更新: 2019年12月19日

2013年6月1日、阿蘇カルデラ、スーパーマラソン、100㎞の部に出場した。 第27話にて世界一周した後にしばらく一緒に家族、両親と一緒に暮らして一緒に働いていたいたときに父親が急に事故で亡くなった。 それで失望のどん底だった母親を励まそう、一緒にエントリーしていた弟とにそんなこと言いながら母親も一緒に来てもらうようにお願いした。 まさに、どこぞの感動的体育会系テレビ番組のような発想だ。 自分はかつては自衛隊時代は毎日10km走っていたものだし、フルマラソンも何度かは走ったこともある。 しかしまあ長距離走はどうしても細身で身軽な人のほうが優秀であり、体重が70kmを越えでベンチプレスも100kgくらい持ち上げる筋肉ムキムキ型な自分は長距離走には向いている体系ではなかった。 まあそれでも最高記録はフルマラソン3時間28分、2万人中2百位くらいトップ1%くらいには位置していたかな。 それから、世界中で色んな地を歩き渡った経験。 極寒の地や砂漠や標高6000m越えの山に挑戦したりそれなりに過酷なことをやっていた。 (しかし、運動生理学的に言えばこれらの過酷なことはマラソンと相関性はあまりないw) 弟も現役消防士であり、歳も20代半ば。かなり脂ののっている時期だ、この二人ならなんとかなりそうだ。

さて。 阿蘇カルデラスーパーマラソン。 その名の通り、このマラソン大会は世界一のカルデラである阿蘇の外輪山の周りを100㎞、ほぼ一周くらい回るといったドSな競技。 その現役消防士の弟と、そして昔の知人であり横須賀にいた時の自衛隊の同期の『走り=人生そのもの』のような内田君。 その弟分二人とともにエントリーして、少しづつ、昔のように錬成をはじめていたのです。 ~~~ 大会前夜、二人で阿蘇のホステルに泊まる、そこで種子島からやってきた内田君とも懐かしい再会。 この大会は朝の5時からの出走だったから3時くらいに早起きして、阿蘇のホステルで出会った他のランナーの方々と共にスタート地点まで向かい スタートともに1000人の奇人たちが一斉に走り出す。その日の天気は曇りのち雨。 今回のマラソンは一緒に走るバディで弟がいて、さすがに兄弟だからなのか能力値が均衡していてちょうどよかった。序盤のペースはキロ7分ペースでゆっくり会話しながら軽快に走り出す。 さすがに大会ということだけあって自然といつもより体が軽く、序盤の20キロくらいまではかるく走れる。 が20キロを過ぎたくらいで垂直の壁のように立ちはだかるのぼり坂道を見て思わず笑ってしまった。 あまりの半端じゃないコースに絶望を感じるというより、

『このコースを提案した人バカじゃねぇの?こりゃマラソンじゃなくて登山じゃん!』

と大爆笑。 この大会は起伏が1000mくらいあり、外輪山から麓まで、それを何回か上ったり下ったりするかなりドМなマラソンだった。 そしてその壁のような山を越えてからというもの、足にものすごい負担を抱えてしまう。小雨も降ってきてシャツはぬれていた。

30キロを過ぎたあたりからは検問があって、そこまでに何分以内に入らないと切られてしまうものが設定されていた。っていうのはこの大会の制限時間が13時間30分だからそれに間に合うような時間設定だという。 その検問を時間以内に一つ一つ乗り越えて行かないといけないと切られて大会から退場させられるというのは恐怖ではあるけれど、また別の観点から見ればその緊張感というのは面白い。 途中途中ですれ違う他のランナーとの励ましあいながら。 『お互い頑張りましょう!絶対にゴールしましょう!』 また、地元の人の沿道からの応援はとても嬉しかった。 中間地点の50キロは休憩ポイントのようになっていた。そこで雨が強くなってきた。足もかなり重くなってきてかなり苦しくなってくる・・・それほどの距離を走るのも生まれて初めてな上に、このコースの起伏も半端じゃない 休めば休むだけ時間をロスしてしまうけれど、完走を狙うためにもここで弟と相談して15分ほど休憩することにした。 他のランナーも後半戦に備えてしっかりとテーピングしたり、それまでにあったいくつかの関門を乗り越えて生き残ってた友達を見つけては抱き合って喜んでる人もいた。 ある種の生き残りゲームみたいなもの、、、これはこれで面白い。 しかしまあ、、、不思議なことに、フルマラソンと思って走れば42キロで完全燃焼してしまうものだけど、100kmマラソンと思っていれば50kmくらい軽く走れてしまうものだ。 そして小休憩を挟んでから後半戦に臨む、はっきり言ってこれ以上は今まで走ったこともない未知の世界。 自分の足がかつてないほどに重くなっているし、本当に走り切れるのかどうかわからないけれど、ただ自分にできるのはコース上にある2.5キロずつの表示を目標タイムで刻むこと。 雨は強くなっていく一方で足はどんどん重くなっていく、、だから体が全く温まらず寒さでガクガクブルブル震えながらになりながらもとりあえず走れなければ歩いてもいいから途中途中にある検問を時間以内にしっかりとクリアしていくだけ。前に進むのみ。 そして、この大会で一番の地獄である80キロ付近ののぼり坂・・・本来なら景色が半端じゃなく綺麗だろうけど生憎の土砂降りの雨、そして下手に遠くの遠くまで見えるもので、これから自分たちの走るコースがはっきりと見えてしまい。心が折れそうにもなる。 レースの終盤にしてこの坂はあり得ない・・・・途中では宿で一緒だった人も脱落したりしていた。 と、ちらっと後ろを見てみると、それまでずっと一緒に走ってた弟が急激にペースダウンしていたことに気付いた。 そしてさらにその後ろを、見てみると、はっきりとこのレースの最後尾が見えた。 ダメになった人たちは次々とこのレースから振り落とされていく・・・ そしてそれはもう自分ら兄弟二人にまで迫ってきた。 最後尾の近くにいるっていうのはかなり危険だ、これは次の検問にも間に合うかどうかも怪しいということを意味する。 こんなところまで来たのに絶対に脱落したくない・・・しかし、見たところ弟の心が折れている・・・そもそも、かと言って今の自分が弟に気を使っていられるほどに力が余ってるわけでもない・・・ 弟にペースを合わせて二人とも自滅するくらいなら・・・ここまで一緒に来た仲間であるけれどこれ以上は一緒のペースでは走れない・・・ 仕方ない・・・ 『これから先はおそらく一緒に走らないほうがいいな、お互いのリズムに気を使っててどっちも自滅したら元も子もない。じゃあここはとりあえず俺が先に行くぞ!最後まであきらめずにじっと我慢して前に進んでいれば必ずゴールできる。絶対に二人そろって完走な。ゴールで会おう!』 と言って自分のペースで走る 一緒に完走しようとは言ったものの、心の中では本心、もう弟は限界だ。よくここまで頑張った。 弟が隣にいなかったら自分もこんな80㎞も走ることなんて無理だっただろう・・・ あいつの分まで頑張ろう、、、せめて自分だけでも完走しよう!!! と思って一人で走る、 もう他のランナーの方々と挨拶を交わす余裕もない。自分の体を気遣うことでいっぱいいっぱいだ。 途中で倒れないように、心が折れないように、無心で自分自身を見つめながら、一つ一つ検問を突破していく・・・ その時、足の異変に気が付いてしまった。 右足のひざの部分の外側に強烈な痛みを覚える、単純に筋肉の痛みではなく骨の痛み・・・・これはマズイ。 明らかに走るフォームがおかしくなってることは鏡を見なくてもわかる。 しかし、一度でも走るのをやめて歩いたり止まったりしてから再び走りだすと強烈に痛むから、もう止まるのはやめて本当にゆっくりでもいいから走り続けることにした。 そして90キロ地点くらいに差し掛かるとなんと驚いた、弟が後ろから追いついて来た。 おお、なんと!!! てっきり脱落したとばかり思っていた。 まだ生きていたのか!!! しかしそこから先は序盤であった壁のような坂の反対である壁のような地獄の下りだ。 足がちぎれそうになるのをこらえてひたすらゆっくりゆっくり下る。 そして下りきってラストの検問をクリアし、最後の7.5㎞。 ここで弟のモチベーションが上がり、ペースが上がる、 えええ、まだそんな力あったのか!!! 自分にはそれだけのペースで走ることが出来なかった。 ただゴールまでの残り時間と距離を計算してキロ9分でもいいから最後まで走り切るということにした。 そしてゴールが近づいてきた・・・・本当に、長い一日だった、苦しかったけれどそれももうすぐ終わる。 ラストの1キロの地点では涙が自然と流れ・・・ ゴールが見えてくると・・・そこには予定通り応援に来ていた母ちゃんがいた。 そしてなんと、弟は先にはゴールせずに一緒にゴールするために待ってくれていた。 そして、感動のゴール!!!


というわけで、人生の一大イベントだった100㎞マラソンを無事に完走。 タイムは13時間20分。 タイムリミットは13時間半だったので完走した人の中では僕らがほぼ最後尾でした ちなみに完走できた割合でいえば1000人中700人くらい。 足がボロボロにはなったけれど、本当に二人そろって完走できてよかったです。 どんなトレーニングよりもツラく、どんな旅行よりも充実した、これまでにないほどに感動した一日でした。 走ることっていうのは素晴らしいです、個人的に思うのはジョギングってのが一番最強の趣味だと思ってます。 最低必要なのはジョギング靴と簡単な走りやすい格好だけでお金はかからない、健康にもいい、見た目もスリムになる、飯も旨く感じるようになる。 こういう大会に出場するってのはそれが目的っていうのもあるけれどそれのために錬成することに価値があるんだなと思います。 特に運動神経があるわけでもない凡人だったとしても100キロマラソンは完走できます。 今回レース中に出会った人の中で一番すごいと思ったのは。 26歳の女の子で、学生時代に部活動生とかだったわけでもなく走りに向いてそうな体系でもないのに、20歳を超えたあたりから煙草を辞めるためにフィットネスクラブに通いだしてから運動が好きになってしまい。 いくつかのフルマラソンにも出場するようになり、そして今回ウルトラマラソンに初めて挑戦して完走してしまいました。 はっきり言って誰でも出来る可能性はあると思います。 まずは10㎞・・・そしてフルマラソンに挑戦・・・・・そしてフルマラソンが4時間を切れるようになったら100㎞を目指していいかと思われます。 経験した人しか味わうことのできない、最高の感動がそこにはあります。



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