サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(サンティアゴ・デ・コンポステーラのじゅんれいろ)は、キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。(wikipedia抜粋)
(permanent link to el camino de santiago)
12世紀くらいから、たくさんの敬虔なキリスト教巡礼者がそこを目指して歩いていたらしく、今ではその道自体が世界遺産とされて、それ以降は多くの旅行者が集うようになってしまった。日本でいうとお遍路や熊野古道にあたるのかな、実際に熊野古道とカミノデサンチアゴは姉妹道として認識されてるようだし。
文明の発達によって、交通手段は徒歩から始まり馬、自転車、鉄道、車、飛行機と進化していった。
だからこういった道はもう歩かれない・・・そういうわけではない。
というのは、それとは反対に旅行のスタイルは飛行機→陸路公共機関→自転車そして今ではあえてこの時代に徒歩で旅するスタイルも流行ってきている、自分の足で進む旅、これこそが人類の原点であり、また旅の究極の形だと僕は勝手に思ってる。
時代とともに形は変わったけれど、12世紀から、今もずっと、そういうニーズもあり多くの人が歩いている道ということだそうです。
旅の道中で、ニュージーランドなんかで大自然をずっと歩いていく楽しみに魅せられた僕は、他の旅人との情報交換していく中でその存在をしった。
いつかはそこを歩いてみたい!!
僕にとっても夢だったカミノデサンチアゴ、
今回歩くのは最もメジャーな道、カミノフランセス(フランス人の道)
ピネレー山脈を超えて約800km、約一ヶ月くらいかけてスペインを徒歩で横断。
もともとこの道は聖地サンチアゴを目指して巡礼の旅として通ってた道。自分自身は恥ずかしながら別に信仰心はないけれど、今日では毎年世界中から同じようににそういう人たちにとっても開かれた場所にあたるわけであって。 徒歩の旅の初心者にとってもかなりインフラが整っていているし、入門としてもってこいかな。
全くと言っていいほど信仰心がなくてもさすがにこれだけ長い距離を歩くのであればなにか感じるものもあるだろうと思う。
2014年12月1日に拠点の町、サンジャンピエデポルトという町を起点に出発することになった。
最初にそこの観光案内所でスタンプラリーする手帳と巡礼者の目印である貝殻をもらった。
そして、アルベルゲ(巡礼者の宿)にチェックイン。
その時点で今までの旅とはちょっと違う雰囲気にワクワクしていた、おそらく中世に建てられたであろう建物を改修して巡礼者の宿になっている場所。
何だかドラクエのルイーダの酒場のようだ。
そこの拠点の宿にはオフシーズンでありながらも多くの人が集っていた。
国籍や経緯はみんな違えど、ここにいるみんな、目的は同じ・・・そう思うと何だか感慨深い。
この時期のスペイン北部は雨が多く、視界は悪く、暴風雨にさらされながらのピネレー山脈超えだった。しかしそんな辛い道を乗り越えた後ってのは最高に清々しいものだ。
また、天気が悪いってのは旅行者にとってはモチベーションを下げられていいものではないけど、逆にいいところもある。
最悪の天気が続いたあと、雲の隙間から光がさしたときはテンションは最高に上がる、まさに希望の光、忘れがちではあるけれど雨があるからこそ晴天に価値あるものだ。またその時見えるとてつもなくでかい虹はまさに圧巻。自分の足で旅だからこそ、その美しさが映えるいうものもある。
次の村へ、そして次の村へ。
オフシーズンであるので全部の宿がやっているわけではないけれど、5㎞ごとくらいに小さい村があったりするし、10㎞ごとには泊まる場所もアレンジされていた。
その泊まる場所は所々で中世ヨーロッパの映画に出てきそうな教会だったりもする。
渋い!!!
そこでの交流もまた楽しい。
道中での小さい村のスペインのローカル感の漂うバーで、いつもカフェコンレチェ(カフェラテ)を注文する、そしてそこで出会う別の巡礼者たちや道行く人と交流をする。
一応僕はスペイン語はそこそこ会話できるので、それが割とここでは役に立った。
自分の足で旅をする。 ひたむきに、ゴールであるサンチアゴまでづく黄色い矢印を頼りに
途中でたくさんの可愛い村を通りながら 村人達と話をしたり どこの村の教会でも毎晩、夕方にお祈りして、どんどん心が清められていき。
酒場に行ったり 宿屋で旅仲間を見つけたり お城を訪ねたり
吹雪にさらされたり 視界の悪い山越えで、狼に遭遇して『あ、俺死んだ・・・』と思ったらただのキツネだったり
まさにリアルドラクエのようだった
またこの時期のもう一つの特性としては、人が少ないために普通以上に人との出会いが濃いものになり、それも都会のホステルや観光地で出会うような普通のホリデーな旅行者じゃなく、旅を求めてきている人ばかり。
オフシーズンのいいところである。
ある日、宿でとあるグループに誘われて夕食をシェアすることになった。旅人同士でお金をカンパして夕食を作って割り勘、費用的にはかなり安くなる、業界用語でシェア飯と言う奴だ。
観光地ばっかり巡って写真を撮り漁るだけでなく、へんなもの食べ歩くだけでなく、旅人同士の出会いってのが一つの旅の醍醐味だ。
カミノデサンチアゴ徒歩巡礼に関していえばみんな目的を同じくして進んでる中での出会いだから普通以上にものすごい連帯感が生まれやすい。
そういう意味で言えばこの横断の旅は今までの旅とは違いかなり異質だった。
だいたいの場合は泊まる宿が同じになるから、それらのグループが自然と家族みたいに親密なものになる。
とはいえ、僕は序盤はずっと、グループではなく一人で歩きたかったからだいたい普通の人の倍くらい、30~50km位の距離を毎日毎日こなしてきたために毎晩たくさんの違う人に出会い、たくさん深い会話をした。
何ヶ月もかけて自分の家から歩いてきたドイツ人若者 徴兵を終えてこれからの進路に悩む韓国人の若者 (カミノデサンチアゴは流行っているのか、韓国人がものすごく多い) ロシア人の超大富豪
フィリピンの貧困街に生まれたけれどボディビルダーとしてアメリカンドリームをかなえたオッサン 75歳、僕より早く歩くスペイン人スーパーおばあちゃん 日本人の方にも少し出会った
普通の旅じゃ出会えないような人ばかり、そんなスーパーなメルティングポット。
事件は起きた
しかし、、、、たかが800㎞、されど800㎞
そう簡単には歩ききることができるわけではなかった。。
というのも、自分のペースであまり考えないでひたすら歩いていたために足を痛めてしまった。僕の場合、下手に常人より体が丈夫であり割と無茶できるからか、そういうのを考える能力がおとっていた。
その異変に気づいたのはは半分以上歩いた、16日目、556km地点。 足首が腫れ上がり、調子が悪くなってからしばらくペースを落とすことにした。 1日20~30kmくらい、 足をかばうために杖を使って腕力で歩いているからものすごく疲れてしまって今は前半みたいに長い距離は歩けない。
明らかにそれは周りから見ても顕著なので他の巡礼者達にも忠告された。
だけどリタイアしたくない・・・
『なぜそこまでやるんだ? 別にこれはオリンピックゲームでもなんでもないし、今はひとまずリタイアして足を完治させてまた戻ってくればいいのに』しばらく一緒になった人達にそう問われる。
全く持ってそのとおりだ、だけどやめたくない。
『俺はお前に感謝している、お前が俺たちをグイグイ引っ張ってくれたおかげで1日に40km以上も歩くことができた、これは生涯俺の誇りになるだろう。』
『 今のままじゃ今度はお前が俺たちについてこれないだろ、 ひとつ提案がある、ここから1日に何本か150km先の2つ峠を越えた町までバスが出ているそうだ、それに乗って先に行っといてくれ、そこで足を回復させることだけに専念してくれ、何日か後に俺たちもそこまで来るから、そこから一緒にまた旅を続けよう、お前と一緒に最後まで旅がしたいんだ』
西洋人はこのように聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなクサイ台詞をストレートに言ってくる。
もちろん言われて悪い気はしないし、こういうところは彼らスタイルの好きなところでもある。だけど、本当に申し訳ないけど答えはNoだ。たかがカミノ、されどカミノ。まだやれるのに途中でギブアップなんて一番嫌いなことだ。一度志したことは簡単には諦めない。ヤセ我慢は男の美学。今ここで逃げたらこの後の人生も一生逃げ続けるような気がする。
って・・・
これは、一体なんなんだろうか?大和魂とか武士道精神とかそんなものだろうか?
考えの古い九州の田舎で育ったからなのか?
ちなみにこういう時には唯一文化や考え方の近い韓国男児はこの気持ちを理解してくれる。
もしくは単に俺が韓国人の彼らと同じで軍隊上がり気質だからなのか?
きっとこれは西洋人には理解し難い奇妙な行動なんじゃないかと思う。
「これが噂の武士道精神か、日本人はあんな状態でもまだ続ける、なんてスゲエ根性だ、これは尊敬もんだ」
と思われてるかもしれないし
「なんか日本人ってめんどくさいな、タチの悪い洗脳だな、まあ文化や考え方の違いってのもあるし、そこは尊重してやらないと」
とも思われてるかもしれない。
『わかった、それならサンチアゴで待ってるよ、そこで俺たち家族みんなでクリスマスを祝おう』
と言って、しばらく一緒だった彼らは先に行ってしまう。数日間一緒に、いい感じのグループだったのに。しばらくまた一人になった。ちなみに、巡礼者は病院での診察が無料と優遇されてるけど、もちろん医者に診せれば100%の確率で中止を告げられる。
大したケガじゃなくてもドクターストップを告げる、それが人を守る彼らの仕事、当然だ。
だから歩けてるうちは行く必要はない。とはいえ、ゆっくりゆっくり歩いているうちに、だんだん調子も良くなってきた。
痛みも腫れも引いてきた。
このまま見積もりどおりに行けばあと9日でサンチアゴにつくことが出来そうだ、よし、最後まで油断せずに行こう。
おそらく、そんな時代遅れの洗脳のないこれからの若者はこんな生産性のない自分を滅ぼすかもしれないタチの悪い根性論は真似しなくていい。
だけど、そんなしょうもない美学もあったってことは知っていて欲しい。
そんなこんなで数日ゆっくり歩いていたら、徐々に足は回復していった、気がする。
これならいける!!
後は、毎日地道に歩いていけば、、、ゴールであるサンチアゴにたどり着けるだろう。
終盤にて
その約一か月間、自分にとってもっとも不思議な一カ月だったと思う。自分自身、今まで考えたこともないような新しい学びもあった。
ひたすらマイペースであるく
時には頭を空っぽに
時には他の巡礼者と会話を楽しみながら・・・
流石に周りのみんなも体が順応してきたのか、一日30~40kmくらい歩くのが普通になって来ていたことに気づいた。
『この旅が終わったら今後の人生どう生きるの??』
ってのは結構巡礼者同士のメインの話題だったりした。
僕の場合、ここだけではなく、これまでの旅路でも、自問自答する膨大な期間はあったし、それをシェアする機会もたくさんあった、その中で一度きりの人生をどう楽しく、どう熱く生きるかってことは僕なりに常に考えて動いていた。
旅はいい!!
毎日、毎日、新しいところに行って新しい人と出会う日々。
旅そのものが生活になっていたその当時は、日本へ帰ることなんて考えてもいなかった。
もっといろんなところに行きたい、新しい学びが欲しい、いろんな刺激が欲しい!!
こんなに楽しい、そして有意義なことは他にはない!!
もちろん僕にとってカミノデサンチアゴは長い旅路の中の一部にしか過ぎなかったものだから、この後はバルセロナの友人のところに置いている荷物を掌握した後はポルトガルに入ってアフリカに下る予定。そしてケープタウンまで南下したらもう一度ラテンアメリカに飛ぶのもいいな~
ってのが当初のぼんやりした予定だった。
しかし・・・・何だかわかってきた。
というかそういうのもすべてしょうもないこと、ちっぽけなことに思えて来た。
というのは色んなところに行って物理的には動いているけれど、毎日旅をしているだけの平行線な人生。
もちろん旅によって学んだ学びはたくさんあったけれど、旅から得たものはもう十分すぎた。もう旅に対して昔ほどエキサイトしているわけでもない
実際に実体験として、世界中色んなところを飛び回り、たくさんの有名どころには行ったし、行きたかったところは全部行った。
しかし、それらの何よりも今回のカミノデサンチアゴのただ異国の道を歩くだけのほうが価値があったと思う。あれ?なんでだろう?
そうなったら、あれ??なんで旅してるんだっけ??
ただ単に
旅して世界中を飛び回ること=クール
みたいに自分の中で周りの情報によって勝手に洗脳されていた思い込みだったんじゃないのか??
がむしゃらに色んな所に行かなくてもいいんじゃないか??
別に誰かが僕に期待しているわけでもないし、かっこよく生きる必要もない。
人生そんなにシリアスに必死に生きる必要もないんじゃないか??
昔思っていた憧れ
・国際的に生きる人
・世界中を飛び回る
・海外移住をする
すべて思い込みだったのかな?、もはや今となってはそんなことはどうでもよくなっていた。
だから思った、もはやワクワクもしてないものをこれからも今まで通りダラダラ続けるよりも、これまでに学んだことをもとに新しい一歩を踏み出そう!!!
僕にとってそれが、旅を辞めて日本へ帰ることだった。
そう決心させてくれた旅。
僕はそのまま無事にサンチアゴデコンポステーラへたどり着いた、ちょうどその日は12月25日であり、僕にとっては29歳の誕生日。
そしてそこはキリスト教の聖地だけあってその日は盛大に盛り上がっていた。
今まで道中であった人、僕より早かった人も後にいた人もこの特別な日のミサに間に合わせて、道中であった人ほとんどが同じ日に到着しているようだった。
道中であった人達との感動的再会をしばし楽しんだ。
そこから大西洋のフィニテラまで歩く道中の仲間達も多かったけれど僕はあえていかないことにした。
そのまま僕は道中に手配した飛行機で日本へ帰ることにした。
2010年から旅人として世界中を回った20代の日々。
約5年間、がむしゃらにやりたいことは全部やっていきたいところは全部行った。
そして、2014年12月25日、29歳の誕生日、ここの巡礼路は僕にとって一つの人生の分岐点になることになった。
僕なりにゴールを見つけることができて、旅人としての人生はここで幕を閉じることになった。
でもそれはもちろん、終わったことに対してしんみりしているのではなく、新しいことを始めてみようとするワクワク感が大きかったんだ。
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