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第24話、世界一周中に海外就職活動した話。

更新日:2019年9月7日

久しぶりのジローの物語のブログとなります。


日本を離れ世界一周の旅にでて2年半の月日が流れたころの話です・・・

(内容は当時のブログのコピペを元にしています)



 


北米にて1年半を過ごし、中南米で1年を過ごした後にヨーロッパへ・・・

気づいたら、四捨五入したら20歳だった僕はアラサーへと立派に成長をしていました。



※ヨーロッパに到着してからは、物価高だったりそれまでの旅の中でヨーロッパ中に友人ができていたので、基本は彼らの家を泊まらせてもらいながらの旅だった。




本当に、日本を離れてこうやって地球半周できて本当に良かった。

色んなことを学ぶことができたし、日本中、世界中問わずいろんな人とのつながりが増えた、本当に世界は広がった。


自分の中では当たり前になっててついつい忘れてしまいがちなことだけど、出発前から考えてみればこれはすごいことだ!



本当に、、、、、地球のみんなからオラに元気を分けていただいた


ただ、その時に思っていたことは


『いつまでもこんなことをやっているわけにはいかない、所詮は経済格差を資本とした遊びでいつまでも続くわけないだろう』


2年半も一度も帰国することはせずに海外放浪するなんてことは。旅人の中でもはっきり言って普通じゃないレベルなことだ。

でもまあ、それはすごいとかそういうのではなく、非日常だってそれが日常となれば別にすごいなんてことはない、ただ継続したかしてないかの違い。

(まあ普通は飽きたり、資金が尽きたり、人生をちゃんと考えて、次の行動をとったりするから)



もちろんその気になればあと10年くらいはこうやって地球を放浪できるだろう、でもそんなのは別に望んでたわけではない、、、

というのは日本を離れる時に決めたこと・・・・


"海外放浪の旅の目安は大体3年(もうすでに2年半が経過)、もしくは自分の道を見つけるまでは日本へ帰らない"


今の自分から思えば、そんなことは考えないで、何とかなるから気軽にとことん好きなことやれよ!


大丈夫、何も心配しなくていいよ。どう生きてもどうせいつか死ぬから!


とアドバイスしてあげたいくらいだけど、当時は一度きりしかない自分の人生についてシリアスに考えていた。


海外に出る前の当時の僕の環境の場合は今ほど情報がありふれていなかったり海外放浪が一般化されていなかったから、当時、安定を捨てて自分の人生を生きることへのハードルは今とは微妙に違っていた


自衛隊にいたときはもちろん周りにそんなことやってる人はいなかったし、外の人の価値観に触れるチャンスがものすごく限られていた

『インターネット=危険』というしっかりした教育が隊員にされていたわけで、インターネットは規制されてたし、バカ真面目だった僕はそれを疑うことすらなかった。


そんなところにいた。


『安定を捨てて海外放浪する??バカじゃないの??』


と当時の職場の人たちに半分バカにされながらも我が道を行くことを決心したこと

特に親の反対を押し切って出ていったこと

そういう背景があったからこそ、そういう人たちに対しても堂々と凱旋帰国をしたいと思っていたくらいだから