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第2話、俗に言う社会のレールからドロップアウトしてまで海外放浪にでたきっかけ、その時の心境。

第1話で紹介したように、陸上自衛隊生活5年目にして生まれて初めての海外旅行で見事にはまる。 まるで首輪が外れた犬のように・・・とにかく自由な空気を感じれた。

次の休暇もその次の休暇も海外に出るようになった。 それと同時に、少しずつ英語のフレーズも勉強し始めインターネットもこそっと始めるようになり。 (今はどうかわからないけれど、当時の自衛隊はインターネット使用に関してもしっかりと規制されていた)

時を同じくしてSNSを通して外の人の考えに触れるきっかけが増えていき、本も読むようになった。 読むようになった本は旅本、それから人生哲学みたいな本。 沖縄に住んでいたこともあって、その時は高橋歩が大ヒットしている時代だったし自分にとってもそれが愛読書だった。

『心からカッコいい』と思えるようなものにはすぐに影響されてしまう習性があり。 そうなったら自然と、自分もいつか世界一周がしたいと思うようになっていた。

しかしながら、やっぱりそう思っていた時に一番ネックだったのが、すでに自分の仕事を持っていたこと。 20代前半にして一生涯の安定職についていたから、それなりに待遇はいい仕事で、戦争でもない限り、国が亡ばない限りは安泰、仮に自分が死んでも家族は守られるという、ものすごく保護された立場にいた。 その時はわからなかったけれど当時リーマンショックだった中、自分は公務員という恵まれた立場にいたそうだ。

とはいえそもそも自衛隊に入ったのは、安定志向とかそういうことではなく。 単純に高校は進学校にいたものの、勉強のできは誰よりも悪く、同学年360人中で下から数えて10本の指に入るくらいだった。 いたって普通の田舎の家庭環境であり、一個上の兄貴が私立大学、二つ下の弟も私立高校に行っていたということもあり。 自分までさすがに私立大学に行くわけにはいかないと高校生なりに気を使っていたから進学するのであれば国立大学に行きたかった。

けれどその学力はさっぱりなかった。 素行が悪い生徒ではなく、授業を聞く能力が極端に劣っていて、 それと、おそらくだけど好きでもないことなので、どんなやり方で勉強頑張っても、真面目にやろうにも成果が全然でませんでした。

しかし、体だけは人一倍頑丈であり (高校生にしてベンチプレス100㎏くらい上げていた)。 そういう奴はもちろん自衛隊のスカウトマンが放っておかない。

当時の仲良かった先輩の影響もあり、すぐにそれになろうと決めた。

その後は18歳からいきなり地元福岡を離れることになり、それまでの友達とは疎遠になり。 そうなると付き合う人たちは自衛隊の人だけになっていき。 考え方も迷彩柄に染まって行っていた。

と、これを読む限りではネガティブな感じにとらえられそうだけど、そんなことはなくて。 自衛隊はどこよりもものすごい人のつながりが強い、熱い組織であり、だからこそもちろんしんどいこともあるけれど、それはそれなりの良さがある。 教育隊などで、頭を丸めてビシバシしごかれては、仲間とともに励ましあいながら乗り越えていくってのは一つの泥臭い青春の形だと思うし、それはそれで楽しかった。 すぐにカッコいいと思う上司などに影響されてしまうため、自分なりに夢中になって頑張っていた日々だった (KYだとか言われののしられたりすることばかりだったんだけど)

若くして親元を離れて経済的にも心身ともに独立できる。 当時の自分にとってはそれはかっこいいことだと思ってた。 そして、一つの仕事を最後まで全うする、これが当たり前であり立派なことだと思っていた。 目標としては、25くらいの適齢になれば家庭を持ち、そして順風満帆な生活を送りマイホームを持つこと・・・

そうやってそれまで頑張って来たことだったから、それを簡単には捨てられない。 自衛隊などの公務員は一度辞めてしまうとキャリアはなくなり、再び職場復帰なんかもできない。ものすごく雇用の流動性がない。 それから、外の世界とのつながりが希薄であるために、普通の隊員はやめてシャバに戻るのが怖かったりするもの・・・ 自分としてもそれは例外ではなく・・・それに部下もいたし責任もあった。

結局、実際に自衛隊を辞めて海外放浪をしようと思いだしてから決断するまでに2年の年月を要した (22歳からそう思い出して、実行したのは24歳)

というのも、 これまで頑張って続けてきたことだから、やり残したことがないのか? そもそも本当の自衛隊の良さを自分はまだ知らないんじゃないのか? と思い日本一部隊と言われるの第一空艇団(千葉)まで挑戦したこともある。 その結果でいえばパラシュート訓練で失敗して急降下事故を起こし、足を骨折、それが理由でその部隊をクビになり、沖縄の原隊に帰らされたけれど・・・

そんな感じの葛藤、本当はやりたいことがあるんだけど、それを何かのせいにしてやらない、というか別の目標を作って紛らわす。 (今のスタイルから言えばそれは本当に無駄な時間だとは思うけど、でもその時はそれが自分の世界だったしそれが自分の流儀だった。長い間悩んでいたこともきっと無駄ではないと信じてる。)

そうやって日々は過ぎていった・・・

そして、実際にその背中を押してくれたのは3回目の海外旅行だった。 24歳の誕生日である冬休暇、カンボジアに訪れた。

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アンコールワットなどの壮大な遺跡群、そこにのぼる幻想的な朝日に感動をする。 途上国のボロボロ感が旅情をくすぐられて、たまらなく好きだった。旅はやっぱりいい!

そこで運よく旅人宿にて、日本人の方でボランティア交流として何度もカンボジアに来ている人に出会い、翌日は彼らについて現地の田舎の村を訪れるチャンスをもらえた。 よくある話かもしれないけど、自分にとってはそれが今までで一番大きかったカルチャーショックだった。

完全な偏見だけど、そこに行くまでは、途上国の人たちのことをかわいそうだと思っていた。 服や家もなんかボロボロだし、現地の庶民は自分たちみたいに携帯やデジカメなど、持ちたくても簡単に持てない。

だけど、そこで自分の常識を覆されたのは、そんなもの関係ないと言わんばかりに楽しそうな人たち。 服はボロボロ、いやそもそも服を持ってない人もたくさん。 自分たちが子供の時にやってたように日が暮れるまで走り回って遊ぶ、夜になったら集まってご飯を食べる、その後は誰かの家で歌をうたう。

日本の、例えばお店など接客業などのようなスマイルではなく。今まで見たこともないような、本当に嘘偽りのない笑顔。 かわいそうだと思っていた人たちは、とても楽しそうに見えた。

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よく考えてみると、あれ?? 日本で街中でみる人たち、こんなに楽しそうではないよなぁ?? 楽しくないどころかゾンビみたいに死んだような顔をしている人たちがたくさん、高価なものを身に着けたりおいしいもの食べたりしているのに、家だって車だって持っているのに、なんでだろう?

自分が持っていた価値観、これは違うのだろうか??初めて自分の持っていた常識を疑うことになった。

そこで自然と涙が流れた、、、その旅で脳みそスパークされ、悩んでいたことは一気に吹っ飛んだ。

なんて小さなことで今までくよくよ悩んでいたんだろう?? 環境のせいにしてやりたいことをやらないんじゃなく、一度きりの人生、自分の納得いくように、もっと輝かせれるように生きてみよう。

帰国し、部隊にかえるとすぐに依願退職を申し出、その三か月後には退職し、同じ月には世界一周の旅に出た。 (ちょうど自分の部隊が解体されるときだったので、人事的に言えばタイミングもよかったし、仕事上で周りに対し迷惑もそこまでかからないということでタイミングもよかった)

もちろん周りの声は二極化だった。海外はおろかシャバのことすらよくわからない自衛隊の人からすれば、約束された安定を捨て、世界を放浪する、理解に苦しむ人ばかりだった。 『とても勇敢ですごい奴』という声もあれば『根性なし、負け犬』という声もあった。 本当にうつ病なのかと親身になって心配してくれる人もいた。

退職する日、営門を出るときにとある上司から『自分がどれだけ甘かったか思い知って死ね!』というありがたい言葉もいただいた。その人は色んな部下からウザがられてる人だったから、自分もよく目をつけられていて、その人にいまさら何を言われようとどうでもいいことだったし、そんな偏った考えを持った人のいる環境を抜け出せるというのはうれしくて仕方なかった。

同僚たちに見送られて那覇の営門を抜け出すとすぐに解放感全快になり、当時の愛車のバイクで沖縄北部まで一気に走り抜けた。。。(外出時に身分証がポケットに入っていない違和感はこれを経験した人にしかわからないw)

追記 今度の5月27日、これから海外に出たいという人たちのための一歩を応援している団体『たびっぽ』さんから、講演依頼を受け、人前で喋ることになりました。特にこの時の話を深くしゃべってほしいとの要望がありましたので、少し掘り下げてみます、やりたいことをやる、どうか勇気を出してチャレンジしてください!

1、まず自分をほめてみる やりたいことがわからないという状態からやりたいことがあるけど勇気がないという状態になれたというのはとても大きな一歩です!

2、天秤にかけてみる やりたいことがあるけど、すでに今の自分はこのレールを走っている、キャリアに傷がつく・・・・。 では今のレールを走る自分とそれをやった自分(仮に失敗したとしても)の2パターンの将来をイメージしてみて、どちらが素敵な人になってるでしょうか? 僕は仮に失敗例も考えていました、例えば24で海外放浪に出て、その後特にやりたいことも見つからず3年くらいで帰ってきて、そして何か別の仕事をやって、それもやめて、結局どこにも務まらなくなり、ホームレスになるというその時思い描いた最低のシナリオのほうが、せめて魂の入ってない仕事をそのまま一生続けるよりは楽しい人生じゃないかなと思いました。(発想が極端すぎる、まあ視野の狭い環境にいましたので、笑) 一瞬でも好きなことに挑戦できたわけだし、それだけで十分価値がある、そしてさらにそこで必ず何か得るものがあって今後につながることは出てくると思います。

結果 一生涯の安定は捨てて、前の給料にも到底追い付いていませんがそれが全くどうでもいいと思えるほどに人生は相当楽しくなりました。価値観は変わります。 25で結婚どころかパートナーもいませんが、イレギュラーが起きて30歳でマイホームを持つことになり、今では一緒に住んでる家族のような(実の家族よりも一緒にいて居心地の良い)人たちもいます。 今ではほぼ毎日、色んな人がそのマイホームを訪ねてきてくれます。 予定通りにはいかないものですが、当時の価値観とは完全に変わり、結果的に満足してる生活です。

3、お金が・・・ バリバリアルバイトして貯金しましょう!もしくは2~3年くらいちゃんと就職して日本社会経験を積みながらお金を貯めるのもありだと思います。自分がやりたいことなんだから自分で汗水たらして稼いだお金で挑戦することが大切だと思います。 それから、思ったよりもお金なくてもやりたいことはやれたりします、金持ちがやるような優雅な遊びは別として、海外放浪する、何かを学ぶのもそう(学校に行くのは別として)、例えば自分は英語なんてほとんどお金かけないで独学で習得してます。 お金なくても友達がたくさんいればクラウドファンディングという方法もあるし、家だってタダでもらえる時代だし、インターネットを駆使すれば色んな情報も知ることできるし、お金かけずとも色んなことを勉強できたりするのものです。

4、親が・・・ 僕の場合も親には全く理解されませんでした。安定を捨てて海外放浪なんて・・・『今の時代に仕事を捨てるなんて・・・』『海外なんて・・・』色んなネガティブな意見による反対をされてました。 自分のことを思っての愛情から心配しているからこその反対なので、普通に考えたらこれが一番厄介です。 説得して理解させるのもとてもいいことだと思いますが・・・・ もう一つ、年齢的にも立派な大人になっているのであれば親の反対などを理由にして夢をあきらめるくらいならあきらめてしまったほうがいいと思います。 いつまでもそのレベルで親に精神的な依存をしているようではその後の人生うまくいきそうにありません。 しっかり話して理解してもらう、それができなければ今はその反対を押し切ってやってしまう、遠い将来で納得させるくらいの覚悟がほしいところですね。

僕の場合18歳以降、経済的には親から独立してる身なので、金銭面に関しては何も言わせなかったくらいで。 自衛隊辞めて沖縄から一時的に福岡に帰った時の出国前にその話をしていたけれど、やはり反対されました。 『反対するのはいいけど・・・もう自衛隊辞めちゃったし、住民票も抜いちゃったし、チケット買っちゃったし』と言って反対を押し切って海外放浪に出ました、帰ってきたのはその2年9か月後です。 世界一周からの帰国後になんだか雰囲気変わった自分を見て父親はようやく理解してくれました。 どういっても理解してくれない親にはかなり心配かけてしまうので、せめてそれ以降は金銭的な迷惑だけはかけないと心に誓っていました

5、安定が・・・ そもそも今の時代は超有名企業もいきなり消えたりするもので、安定はどこにもないと思います。 さらに、将来はAIにほとんどの労働を奪われてしまうと言われる時代です。 だったら一番安定する道は、フラフラ好きなことをやって生きることは不安定に強くなれる、それはある意味安定しているとも言えたりもすると思います。 とことん好きなことをやることがこれからの時代の生き残れる道なのかもしれません。 僕の場合は安定よりも、頑張ってきたことを辞めるという喪失感のほうが怖かったですが、多少なりと安定を失うこわさはありました。だから、それに走り出す前にできる限りお金をためて、それを今後どのように運用するかなど、ある程度考えていました。

さすがに自衛隊はギャンブル・酒・お姉ちゃん遊びさえはまっていなければお金のたまる環境であり。 具体例でいえば6年で900万円ちかく貯めました(もし任期制自衛官だったら満期金を合わせてで1000万くらい行ってたんじゃないかと考えたら恐ろしい) 海外放浪に全貯金使うのではなく、全貯金額の半分しか使わない。400万円が海外放浪資金。 残り400万はやりたいことが見つかった時のために取っておく (結局それはゲストハウス開業費になりました)

結果で言うと海外放浪にもゲストハウス開業にも思ったほど金はかかりませんでした。 あ、もう一つ言えば、今の日本社会で仕事がなくて、お金も無くなって餓死するということは基本的にありえないと思いますので過剰に心配する必要もありません。

6、海外=危険 僕はこれまで自由に海外を歩いてきました、さすがに何度か危険な目にはあいましたが一応生きてます。 それとは反対に僕の実の父親は海外には出らずに、日本で真面目にバリバリ仕事頑張っていたけど、ある日いきなり事故で亡くなってしまいました。 日本にいれば安心なんて妄信です、確かに海外のほうが僕らにとっては管理が不安全だったり、衛生面だとかもひどかったり、謎の病気なんかもあったりするでしょう、しかし逆に言えば日本社会にがっつりいることもこれはこれで危険です。 過労死なんてのは日本にしかないことだし、うつ病や自殺大国だともいわれてます。 人はいつか死ぬ、いい人生を送ろうとつまらない人生を送ろうと死は平等に訪れます。 人生一度きり、やりたいことをやったほうがいいと思います。

以上です!! あ~、講演前に書き終わってよかった。 どうか話を聞きに来てくれる彼らにとって、勇気を出してその一歩を踏み出せる材料になれますように!





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