学校・社会に馴染めない、会社辞めたいなと思う人たちに読んで欲しいです。
更新日:2019年3月24日
今の僕の仕事、山奥でゲストハウス経営。
今でこそ、こういう仕事をやってるからこそ多種多様性のある生き方をしてる人が自然と集まる環境ができてるのですが。
しばしば特殊な問い合わせをもらったりする事があります、お子さんを持つ友人などで、不登校だったり学校をやめちゃったりした子に『世界のジロー』のお話をして欲しいという意見をいただいたりします。
それはもう、本当に僕が力になれることであれは喜んで協力したいです。
ちなみに、今年の夏は里山留学体験としてジロ親父としてたくさんのそんな感じの10代の子たちを茶屋敷にて引き受けたりしました。
是非、僕の話で誰かの役に立てるのであれば喜んでお話をさせていただきます。
と言うのも、僕こそがもともとは日本社会に適合出来ずに昔から悶々と生きていた人だからです。
そして一度きりの人生、自分の生きたいように生きるようになってから人生ものすごくよくなりました。
世界のジローの学生時代
幼なじみには恵まれてワイワイバカやっていただけなので中学までは楽しかったけれど。
僕の高校の頃は、本当につまらない日々を過ごしていて、ずっと辞めたい辞めたいと思っていながらも、当時はそんなことを相談できる人が周りにいなかった為、我慢して最後までやり抜いて卒業しました。
とはいえ、中学は義務教育、高校は必ず行かないと行けないわけではないので、それは自分の選択でした。
それは中学の先生たちが「頑張れ、頑張れ!」と柔軟性のない指導でハッパをかけてくるのに対し、僕も素直に先生たちの言うことを受け止めて、部活は誰よりも努力し、キャプテンを務めたりしていました。
致命的な性格なのが、けして頭が悪いと言うわけではないと思うのですが、じっと座って授業をきくことが誰よりも苦手だった為、勉学ではものすごく成績は悪い方でした。
けれども、「頑張れ」と言ってくる先生たちの期待に答えたくて、高校受験は必死でがんばって、自分の実力より上の進学校に見事合格してしまいました。
今となっては昔話なのでなんてことない話なのですが、はっきり言ってこれが人生最大の選択ミス、黒歴史です、、、、
自分の実力以上の進学校へ行ってしまったので。もちろん成績は学年でも一番下、それだけならまだ良かったけれど、僕の性格的な問題。キャラ的に浮いてる存在だったので周りとのノリについていけず、友達があまり出来なかった。
当時、せめてイジメられる存在にはならない為に、筋肉だけは誰よりも鍛え上げて武装していたからなのか、そういう対象にはなりませんでしたが友達と呼べる人はできませんでした。
その高校は自分で志望した通りの道だったのでそれは誰を責める訳でもありません、保守的な家で育ったので、当時はそれ以外の道を教えてくれる存在もきっかけもなかったので、『高校に進学する』それだけがすべてでしたし、全くその常識を疑うこともありませんした。
そして、高校辞めたいと思っていながらも辞めることをかなりネガティブなレッテルだととらえてしまっていたことで踏み切れない決断、楽しくない毎日でありながらも最後まで我慢して卒業しました。ちなみに卒業はしたけれど卒業式にはでていません。
人生でもっとも無駄だったと思う3年間を振り返ってみて
高校を卒業した後は僕は10年くらい九州を離れているけれど、八女に移住した今、その気になれば高校の同級生にあうこともできるのですが、高校を卒業したあとの同級生とつながりなんて全くありませんし、同窓会には一度行ったことはあるけれどやっぱり雰囲気に馴染めないからつまらないのでそれ以降は行ってないです。
せめて、自分なりに肯定して高校から学んだこと、得たことをあげるとすれば、、、、
集団と言うものがどう言うものか理解できたということ。
それ以外はまるきりなにも役に立っていないと思います。
一つ、一番わかりやすい例を挙げるとするなら、当時僕をメチャクチャバカにしていた今の僕の年齢くらいの英語の先生なんかよりも今の僕の方がまちがいなく英語力ははるかに上だと思うし、そんな全く使えない、先進国のなかでは世界最低レベルの英語力を日本社会に量産している元凶になってるしょぼい教育システム。
面白いことに、僕は学生時代にほとんど赤点しかとったことない、その中でももっとも苦手な科目が英語でしたが、今ではたびたび八女市やNPOから通訳として雇われたりもしています。
何かを学ぶのであれば学校に通わなくても実践の方がいいし、今はその気になればネットなどからも色んなことを無料で学べる時代です。
もし仮に在学中に人間的に尊敬できる師に出会えていたり、友達に恵まれて楽しい日々だったらそれでも学校に行く価値はあったとは思いますが、僕の場合は残念ながらそんなことはありませんでした。
という感じで人生でもっとも無駄な3年間でした。
世界のジローの高校卒業後の話
とはいえ、僕もまあ、本当に無駄だったと思う高校3年間の後は、もっとも僕に向いてないと思う超集団主義の陸上自衛隊に6年も在籍してました。
自衛隊でも同様に個性が浮いてる僕はKYだとバカにされる存在だったし、周りの意志をくむことが苦手なので職場として望ましくない動きばかりしていた僕でした。そういう人にはエースという不名誉なニックネームがつけられます。
人の話をじっと聞くのが苦手な僕は特に自衛隊の教育訓練期間中なんてさんざんでした。
今思えばもっとも自分に向いてない職場に6年もいた訳ですが、、、
まあ当時、僕のことを非難する人は沢山いたけれど、少数ながら僕のことを好きでいていくれる人も少しながらいてくれました、判定は難しいですが楽しいこともありましたので自衛隊生活は全部が無駄だったとは思っていません。