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1985年生まれについて解説

更新日:6 日前

家の裏の棚田が最も美しい時期になりました
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最後の世代として

1985年生まれの僕たち、40歳を目前にして今振り返ると、「僕らは最後の世代だったのではないか」と思うことがあります。

「最後の──」というと何か寂しげにも聞こえますが、時代の変わり目にも対応できている世代でもある、つまり多くの時代のピースを身をもって体験できた世代でもあります。


昭和の封建主義の残り香

僕たちは、まだ昭和の「怖さ」を知っています。

子供のころは先生に怒鳴られたり、げんこつとかで殴られたこともあります。

僕は学生時代にラーメン屋でバイトをしていて、店長にハンマーで殴られたこともあります。高校生がバイトの上司である大人にハンマーで殴られたなんて、今の高校生には信じられないでしょう。


先輩後輩の上下関係がしっかりと生きていました。部活の理不尽、これが当たり前のように存在していました。「個性を大事に」と言われる前の、同調圧力の濃密な世界です。

練習はまるで軍隊のようで、根性論が支配していました。のちに自衛隊も経験した僕からすれば、あくまで体力面であれば自衛隊よりも中学時代のバスケ部の方がよっぽどきつかったと記憶しています。


幸いだったのは、僕の代からは自由に水が飲めるようになったことです。先輩たちの時代は、練習中は一切水を飲んではいけなかったそうです。


その一方で、僕たちはその封建主義にどこか冷めた目を向ける最初の世代でもありました。

そういう感覚を持っていた同級生もいたと思います。先生が怒鳴っていても、「ああ、あの〇〇がまたやってる」と受け流すような、そんな感覚を持っている人がいた。つまり、昭和と平成が混在していた時代でした。

当然先輩たちからは『お前たちの世代は根性がない』と言われてました、まあこれはどこの世代でも似たりよったりかもですね、、、


ヤンキー文化の終焉とその残り香

僕たちより10〜20歳上の世代は、まさにヤンキー世代の中核と言われています。暴走族、特攻服、理不尽なシゴキ、地元に生きる誇り。


とりわけ僕は九州の田舎で生まれ育っていることにより、そのブームは少し後ろ倒しであり、実態感としては僕より5歳~15歳上(今の44歳~54歳)くらいがヤンキー全盛期だという感覚です。

ちょっと上の世代まで本当に僕の中学の大刀洗中学校はめちゃくちゃ荒れていたとして有名だったようです。ご当地の暴走族である『星羅鬼襲(せいらきしゅう)』というスプレー缶でいたるところに書かれていた落書きに恐怖すら感じていました。


僕たちは、そういったものを目撃した最後の世代でした。コンビニ前に集まるバイクの兄ちゃんたち、ヤンキー座りで煙草を吸う人たち。

のちに都会の同い年の友人に聞いたらそうした文化はすでに“ダサい”扱いだったようですが、僕は田舎育ちだったので、怖い先輩、年功序列、義理人情といった空気はまだ学校や地域に残っていましたしちょいワルのイケてる人が参加している印象でした。

だからこそ、ヤンキー文化を「知っているけど、ほとんど参加してない」という独特な距離感で捉えていたと思います。一部の人たちがこれに追従していただけで、本当に「最後の世代」だったと感じています。


そんな昭和の価値観が終焉を迎えていた頃に青春時代を迎えた僕ですが、18歳から24歳という多感な時期に自衛隊に入隊しました。

自衛隊というのは、外の世界よりも遅れている傾向が強く、平成の時代に自衛隊にいた僕は、昭和の中にタイムスリップしていたような感覚でした。表向きにはしっかりダメとされてるけれど、裏での暴力やハラスメントなんか当たり前に容認されている世界です。

当然僕のように暗黙のルールがわからない人はそのターゲットです。

今では日本人の年間自殺者は2万半ばと言われますが僕らの頃は3万をゆうに超えていた

その中でも体力ある血気盛んな組織で自殺者割合が高いというちょっと異常な組織でもありました。実際に知り合いで命を断ったかたもいます。


幸い、体力や筋肉すごいとされる自衛隊の中でも僕はトップレベルに筋肉を鍛えていたことにより実際に暴力を振られた経験はないという自己防衛ができていました「コイツだけは腕力ではボコボコに出来ない」と思われていたのでしょう

ただ一晩中説教はキツかった、、、、


しかしながら、自衛隊の中にいた6年間の中でも、後輩の年代になればなるほどいろいろと厳しさが緩くなっているのも肌で感じていました。

もちろん先輩世代から見た僕らもそうだったかもしれませんが、、、


しかしながら今となってしまっては自衛隊のなり手がいなくて(隊員を基準値の50%くらいしか補充できてないとのことです) ユルユルで規則も断然自由になったようです。


改革遅いよ!!


旅人として出会ったヒッピーの残り香

そして、自衛隊を辞めて2010年から世界へ旅立ちました。スマホが普及するギリギリ直前の時代でした。アメリカ、中南米、アジアなど……。本物のヒッピーはもういませんでしたが、彼らの「残り香」は明確に存在していました。ベジタリアンの自由人、サイケ音楽と焚き火の夜、ヨガや瞑想やあらゆる哲学を教えてくれる放浪者たち。

ウッドストックなどをリアルに体験した世代ではありませんが、彼らの思想をなぞるように、自由で、ラブアンドピースで、何かにこだわらない生き方をしていた人たちがいました。僕はそうした人たちに惹かれていました。そういう人たちが「The 旅人」であり、カッコよかったのです。

ヤンキーの残り香を経験した中学生時代とピッピーの残り香を体験した旅人時代、ちょっとにてます。


それでいて、一方ではスポンサーをつけて世界一周した有名人『はあちゅう』さんが現れたり(僕と同級生のようです)

スマホはまだまだだけどWIFIくらいは当たり前の時代だったので実際にブログをやりながらスポンサーがついて旅してる人にも出会いました。

パソコン一つで世界中どこにいても稼げる人達が登場した最初の時代ですね。


今では著名人となっている『旅する鈴木(鈴木夫妻)』や『ちょっと世界一周してくる(ノジケンさん)』も、僕と世界一周同期の旅仲間でありFBを活用しいろんな場所で出会ったり再会もしてきました。彼らは、僕が知る限り、日本人として最初に世界一周をYouTube動画コンテンツとして発信した人たちだと思います。


スマホ前とスマホ後の断絶

これは旅の話だけではありませんが世界全体が、スマホによって大きく変わりました。

僕たちの旅は、まだ“地球の歩き方”や”ロンリープラネット”が必需品だった時代です。

ひたすら歩く派旅人の僕はそんな重いモノを持ちたくなかったので、持ってる人から借りて手書きで次の町のマップをノートに書く、ということをやってたのは今となっては良い思い出です。しかしながらそれでも絶対迷うので、現地の人に聞く、間違いを楽しみ、そこでの出会いにドラマがありました。


しかしスマホ以後は、迷う必要がなくなりました。Google Mapsが道を示し、レビューが出会いを保証し、SNSが“正解の旅”を教えてくれるようになりました。失敗がなくなった代わりに、偶然も薄れていきました。冒険は安全に、出会いは検索可能になったのです。

僕たちは、その“前後”の世界を知る世代です。


実際に2012年と2018年の二回にわたり南米を放浪した経験があるけれど、そこの違いは体感としては著しかったものです。みんなが下を向いてるのでスマホ以降は『アミーゴアミーゴ』と無駄に絡まれる機会がものすごく減ってなんだか味気なく感じました。


かつてのヒッピー道も、“パッケージ”のようになっていきました。完全な精神性というより、観光としての文化、サブカル、SNS映えする「ライフスタイル」になっていたのです。

ちなみにスマホが普及する前はカウチサーフィン、普及した後はAirbnbへとトレンドがシフトしていったことによる旅人インフラの変化が個人的には強烈です。旅人とホストの出会いが無料だったトレンドから有料になっていく様を体感してもいます。



あとは、男女の出会いというものがリアルなナンパと出会系アプリによるナンパになるトレンドの変化をどちらも体験している世代でもあります。

今では出会系アプリで結婚をするのは普通かもしれませんが僕が20代の前半の頃は、そんなのあり得ない感じでした、しかし30歳を過ぎても恋愛するのが当たり前になった今は、出会系アプリで結婚適齢期に結婚した最初の世代かもしれません。


青春が伸びた最初の世代

この点はまたサブカルチャーにも表れています。昔のジャンプ漫画──たとえば『るろうに剣心』のヒロインは10代でした。でも今、『ONE PIECE』のロビンやハンコックは30代ですが、圧倒的な美女として描かれています。かつてなら“熟女キャラ”だった年齢層が、今では“全盛期”として描かれているのです。


話題作(問題作?)となった『バトルロワイヤル』は僕が中学三年生の頃の映画で、登場人物が同級生ということもあり、没入感が強烈でした。

野球漫画『MAJOR』の茂野五郎は、小学生から27歳くらいまでリアルタイムで年齢を重ねていき、ちょうど僕とほぼ同じ時間軸を生きていた感覚がありました。


ほかにも青春時代に僕と同級生だった物語って本当にいっぱいいるのですが、そこで終わってるわけではなく

最近Netflixで観た『初恋』というドラマの主人公カップル(30代後半)も、回想シーンから考察したらまさに僕と同じ1985年生まれという設定でした(高卒で自衛隊に入隊してるので個人的に没入感ヤバい)大人になっても“青春”は終わらないという感じがします。


おそらく僕たちは、青春が30代まで続くことを自然と受け入れられた最初の世代だったのだと思います。パソコン一つでどこでも働けることの実現、個人事業のスタートアップのハードルが下がることによって働きながら夢を見ることが許され始めた


昔だったら25くらいには結婚して、家族のために落ち着くってのが当たり前だったし、当然僕もそのコースを走るため、20代後半くらいにはちゃんと結婚してマイホームを建てて犬を飼うために真面目にコツコツ貯金してました。


今ではそれだけが道ではないというのが当たり前でもあり。結婚しない人が増えた最初の世代でもあるのか、そして大学価値がない論や結婚オワコン論もyoutuberなどによって水面下で浸透しつつありますが、それは社会のバランスに影響を与えることはあれど、既存のメディアで生れ育ち、既存のレールに上手く乗れなくて劣等感に苛まれてた僕のように、そういう発信者達によって救われた人も多いはずです


さらに父親になっても旅を語れる時代。責任と自由の間でバランスを取る感覚。

僕は実際に3年前の36歳の時、生まれたばかりの息子がいても北海道から九州まで歩いて4か月旅をするようなことをやらかしたのですが、おそらくこれはちょっと昔だったらあり得なかったでしょう。(フィリピンの実家に送り届けた上で、ちゃんと仕送りもしてましたよ!)

僕らはかつての“人生設計”の枠に収まらない最初の世代かもしれません。



最後の世代としての役割

だからこそ、僕たちには役割があると感じています。昭和の理不尽、ヤンキーの義理人情の世界、ヒッピーの自由、そしてスマホの効率、

そして生成AIなどが日本社会でも認められ出した年である今、ギリギリ30代という十分対応出来る世代でもある──

これらのすべて横断的に知っているからこそ、時代と時代の通訳者になれるのではないでしょうか。


いろんな“最後”と、いろんな“始まり”を目撃できた世代だったからこそ、

僕たちは過去と未来の架け橋になれる。そんな気がしています。


時代の“境目”を生きたこと──それ自体が、すでにひとつの物語なのだと思います。

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