そもそも投票率は高い方がいいのか??
- Jiro Sakamoto

- 2月12日
- 読了時間: 7分

こんばんは、八女市議会議員の坂本治郎です。
今回は『そもそも投票率は高い方がいいのか??』というテーマで書きたいと思います。
日本全国でも八女市でも年々投票率が下がってきていた昨今、若者に限らず市民の政治離れを嘆く世論、それは議場でもたびたび議論されていました。
しかしながら、ここにきて今回の衆議院選挙にていきなり投票率が上がったと思えばこういう意見も耳にするようになりました。
「投票率が上がると、よく分かっていない人まで参加するから良くない」
そんな意見を聞くことがあります。
たしかに気持ちは分かります。感情的な情報や断片的なSNS投稿だけで判断して投票する人が増えたら、政治が不安定になるのではないか。そんな不安はゼロではありません。
よくわからない人がみんな参加するようになるとこのようなことが起こります
1. 感情に振り回されやすくなる
政治は本来、長期的な視点や複雑な利害調整を必要とします。
しかし、政策の中身よりも怒り、不安、恐怖、敵味方の単純な構図
といった感情が優先されると、冷静な議論が難しくなります。強い言葉、分かりやすい敵、単純な解決策。こうしたメッセージは拡散しやすく、結果としてポピュリズムが強まりやすくなります。
2. 短期的な利益が優先される
複雑な政策は、どうしても説明が難しい。
一方で、「税金を下げる」「支援を増やす」「規制をなくす」といった単純な約束は理解しやすい。十分な理解がないまま判断が広がると、長期的な財政健全性や制度の持続可能性よりも、目先の利益が優先される傾向が強まります。その結果、将来世代への負担が増える可能性もあります。
3. 情報操作に弱くなる
現代はSNS時代です。断片的な情報、切り抜き動画、刺激的な見出し。それらは冷静な政策資料よりも圧倒的に拡散されやすい。十分に背景を理解しないまま判断する人が増えると、意図的なミスリードや扇動に社会全体が影響を受けやすくなります。僕が陰謀論ネタで過去に指摘した方もそうですね、これは国内外問わず、多くの国で問題になっています。
4. 分断が深まりやすい
理解が浅い状態では、「複雑さ」をよく理解できない。すると
正しいか間違いか(物事に絶対正しいというのはないだろうに)味方か敵か、善か悪か
という二元論に流れやすくなります。
結果として社会の分断が強まり、冷静な対話の余地が狭くなる可能性があります。
5. 政治が“人気投票”に近づく
政策の中身よりも、話し方、印象、キャッチコピー、炎上力
が重視される傾向が強まると、政治がエンタメ化していきます。これは民主主義の劣化につながる可能性があります。実際に聞いた話では若い美人が出たらもう票を取りまくってしまう現象が問題視されたりもしています
歴史を見れば、大衆の熱狂が急進的な方向に社会を動かし戦争に突入した事例もあります。
また、財政の観点から見ても、減税や給付のような分かりやすい政策は支持を得やすい一方で、その持続可能性は簡単ではありません。投票率が高いことが、必ずしも将来世代を守ることとイコールとは言い切れない側面もあります。
さらに言えば、安定している社会では投票率が必ずしも高くないという事実もあります。ちょっと前の日本は投票率の低く、お隣の韓国や台湾なんかと比べたら平和ボケした国だったように感じました、大きな不満や危機感がない場合、人は政治に強いエネルギーを向けません。
つまり、投票率の高さだけで民主主義の質を測ることはできないのです。
では、誰が参加すべきなのか?
ここで一番難しい問いが生まれます。
「よく分かっている人だけが参加すればいいのではないか」
しかし、それを誰が決めるのでしょうか。
知識テストをするのか。学歴で区切るのか。財産で区切るのか。
そこまで踏み込めば、民主主義の根幹を壊してしまいます。民主主義は、不完全な人間が、不完全な判断をしながら、それでも修正を重ねていく仕組みです。
だからこそ面倒で、だからこそ価値がある。
だから、それでも僕は基本的には投票率は高い方がいいと考えています。
投票率が低いと何が起きるか
投票率が低いと、組織票が強くなります。地域のしがらみ、団体、特定の利害関係者。政治が「声の大きい一部」のものになりやすい。これまでの自民党一強がそうさせてきましたがその鏡のように我々の県議選や国会議員選挙はもはや選挙というよりも組織同士の戦いであり結果がわかってる茶番劇のように見えてしまってました
また、特に地方では
顔が見える関係
昔からの縁
「頼まれたから入れる」
といった構造が強く働きます。
縁故投票自体はロジックとして間違ってないと思います。投票する側からすれば顔が見えて自分の話を聞いてくれる人を選ぶのは自然な行動です。しかし、それだけで回る社会は変化に弱い。新しい挑戦や、少し違う視点が入りにくくなる。当然僕のようなガチ新人無所属チャレンジャーが入るチャンスが狭くなってしまいます
「バカも参加するようになってしまう」という議論について
そもそも誰が“バカ”かを決めてるのでしょうか。
時代を動かした織田信長は”うつけ者(ばか者)”と呼ばれていたエピソードがたくさんあります。学歴が高くても判断を誤る人はいます(というか僕の周りでは賢い人の方が陰謀論に走りやすい印象です)。知識があっても自分の利益のためだけの選択をする人もいます。
民主主義は、完璧な判断を前提にしていません。むしろ、不完全な人間が多数で決める仕組みです。間違えることもある。でも、社会全体で、次で修正できる。
これが民主主義の強さです。
地方は投票率が高い。でも…
地方は都市部より投票率が高い傾向があります。少子高齢化と人口流出の激しい田舎では今でも80%を超えるところもあります。八女の議員を見てもわかるように人口割をするなら西部よりも東部の方が票が強いという傾向もあります
しかしそれは必ずしも「政治への関心が高い」こととイコールではありません。
義務感で行く
頼まれたから行く
空気で行く
これも現実です。一方で都市部は投票率は低いけれど、政策議論は活発だったりする。
つまり、投票率の高さと民主主義の質は、完全には一致しない。
ここで言えるのはシンプルに僕ら一政治家の魅力がそういった形骸化した流れに負けているということだと思います。そこは「恥を知れ恥を」と心に戒めます
本当に問うべきこと
問題は「投票率」よりも、
どういう情報環境で判断しているか
候補者がどれだけ誠実に説明しているか
市民が政治を“自分事”として感じられているか
ここにあります。投票率が上がること自体は悪ではありません。むしろ、政治が一部の人のものではなく、広く開かれている証拠です。ただし、それだけでは足りない。参加が増えたときに、政治の側がその多様な声を受け止められているかどうか。そこが問われます。
投票率が上がると、自分と違う考えの人も増えます。
それは怖いことかもしれません。
でも、自分と同じ意見の人だけが参加する社会は、それはそれで危うい。
民主主義は面倒です。でも、面倒だからこそ守る価値があると言われている
投票率が伸びた方がいいのか。
僕は、「伸びた方がいい」と思います。
ただしもちろんそれだけじゃいけない、政治も市民もリテラシーをあげること、少しずつ成熟していくことの方がもっと大事でありそこを目指せているかどうか見えない別の指標がもっとも大事だと思っています。
似たようなもので言えば
投票率の議論は、学校で「点数が高ければいいのか」と問うのに少し似ているかもしれません。もちろん点数は高ければ高い方が優秀である確率は高くなります。しかし点数だけでは、本当に賢いか、その人の思考力や人間性までは測れません。だからといって、点数が低くてもいいとはならない。大切なのは、数字と中身の両方を見ることだと思います。




コメント