フィリピン、セブにて息子が療育留学
- Jiro Sakamoto

- 1月4日
- 読了時間: 8分
更新日:1月4日
新年の挨拶と報告。
しばらくの間、息子の龍之介をフィリピンで育てることにしました。

広義の意味では
『息子が幼少期から英語のためにセブで留学させて、それに相まって父親である僕はセブとの二拠点生活をする』
ということなのでそこだけ切り取ってしまうと
「さかもっさん、なんて教育熱心でハイソで最先端な父親っちゃろうか、、、」
って思われるかもしれません
実際に帰りの便で親しくなった夫婦にはそのような羨望の目で見られました
しかしながら全くもってハイソな貴婦人のようにマウンティングを取るつもりもありませんし、実態はそんなオシャレな話ではありません、僕ら夫婦はわずかな可能性にかけて藁にもにもすがる想いの決心です
龍之介はまだ、4才でありながらもはっきりとした言語を話しません。オムツも取れてないし、じっとできない、それでいて同い年の子供よりも体も大きいために他の子よりも圧倒的に手がかかります。
今年より正式に発達障碍児として認定され、日本・八女でも麓の黒木町で療育を受けていました。療育環境はとても手厚く、保育園の先生も親身になってくれた、制度も人も本当に素晴らしいと思います。それは間違いありません。
黒木町は『子育ての理想郷』だと身をもって実感しているところです
しかしながら最終的に決め手になったのは、
妻が安心して暮らせる環境をつくることでした。
言語療育は、プログラムや専門家だけで完結するものではなく、日常の中でどれだけ自然に言葉が行き交うか、どれだけ感情をそのまま表現できるかが土台になります。
母親が母語で生活でき、精神的に安定している環境。それは子どもにとっても、大きな意味を持つはずです。
僕は日本人の中ではけっこう英語ができる方だとは自負してますが、かといってそれを息子に押し付けたいとは全く思ってなくて
というのは当然バイリンガルを目指すのは素晴らしいことだと思うけど、日本語しかできない純日本人の強さと美しさも知っているからです。
日本語か英語か、正直どちらでもいいと思ってるけれどまずは、家族内で会話が成立すること。
それを最優先に考えました。妻が日本語ができない現状がある以上は英語です
色んな背景を考えて出した結論が、「療育留学」という形で、フィリピンで育つことでした。
正直に言えば、この選択が本当に息子にとって正しいのかどうか、今もはっきりとはわかりません。
そしてもちろん、頭をよぎる「if」はあります。
約6年前、僕はただ結婚して父親になって家庭を養いたいという思いで婚活をしていました。
理想の人に出会えるまで、ぐだぐだ考えてたらいつまでも結婚できないと思ったから
今の妻に出会ってすぐいい人だと思ったから、深く考えずに潔くプロポーズして今に至ります
正直にいうとあの時、別の選択肢もあったわけなので相手が日本人だったら、
あるいは、外国人であればもっと国際感覚や旅耐性があって、どこでも一緒に暮らせるようなタフな外国人だったら……
フィリピンだったらせめてセブじゃなくてアクセスが容易なマニラだったら、、
条件が違っていてばこんなふうに家族が離れ離れにならなくても済んだだろう、そんな想像をすることもあります。
しかしながら選んだのは自分だし、もしあの時見切り発車をしてなければ、すなわちもっと賢い選択をしようとしてたら、今頃ももしかしたら独身かもしれない、すなわち龍之介に出会えてない人生ということになります
本当に息子を抱きしめてる時や一緒に散歩する時の幸せに及ぶものはありません。つまり大変なことよりも幸せに感じることの方が圧倒的に大きいので何一つ後悔はないのです。
「そもそもだけど、いっそのことフィリピンに住んだらいいんじゃない?ジローはワイルドだから問題なく住めるでしょ?」
そう言われることもあります。
確かに、住むこと自体はできます
地球上、人間が住んでいる環境である以上どこだって住める。言語も文化も、ある程度は適応しながらそれなりに楽しく生きていける自信はあります。
ただ、ここでの問題は暮らしではなく生計です。
現実的に、
今の自分は日本でしか安定して稼げない。
市議会議員という立場、
天空の茶屋敷という拠点、
そしてどちらも地域との関係性と期待がこめられている以上当然簡単には投げ出せないのです
そういうものを背負うものが増えるほど、
気づけば20代の頃のようなフットワークでは動けなくなってしまっていたのです。
自由になれなくなった、というより、
自由の代償を引き受ける段階に入った、ということなのかもしれません
結果として、今は2拠点居住という形を選びました。
正直に言えばこれは妻にとってのいい環境を、日本で用意しきれなかった自分の敗北でもある
と思っています。
山奥の日本暮らしを余儀なくされた外国人の妻
市議会議員という役割
天空の茶屋敷という拠点
発達と言語に課題を抱える幼い子ども
これを一つの場所・一つの生活設計で全部成立させることができなかった
いや僕はできてたと思ってたけど妻のストレスは僕が多忙以上にしんどかったのでしょう
できなかった現実を認めた上で、それでも家族を続けるためにどう再配置するかを考えた結果が、今の形です。
さて問題は、ここからです。
このままずっと、
自分は日本に残り、単身赴任のような形を続けるのか。
それとも、将来的にフィリピンで別の可能性を模索するのか。
それはすなわち、
市議会議員の残りの任期は絶対まっとうするけれど2期目をどうするのか、
そして天空の茶屋敷をどうするのか、という問いにつながってきます。
もちろん子供が小さいうちというプレミアム期間は今しかないので、やるなら先を待たないで今動くべきだとも思うのです。
正直、そこに関してはまだ答えは出ていません、つまり動くつもりはありません
現段階ではいつまでこの状態が継続されるか未知数ですが将来的にも龍之介は日本で、できれば八女で育ってほしいとも願ってます
そして皆さんに約束したいのは「次に繋ぎたい人が現れたりしない限り、どちらに関しても僕から一方的に辞めてどこかにいってしまうことは絶対ない」ということです。それが僕からの応援してくれた方々への恩義です
それから、これまでのいろんなことにトライしてきた経験から一思うのは、どれを選んだって自分が正解だと思えば正解だと思うのです
人生の選択肢なんてそんなものです
子育てに関しても正解がないとは言ったもので
最高の環境を与えられてもパッとしないケースもあれば逆境で育って強くなるケースもあるだろう
褒めて育てるべきか叩いて強くするべきか、、、
スマホだってゲームだって一概にダメというわけではないだろう
逆に僕が小さい頃の記憶を辿ると
父親がずっと一緒に住んでいることに感謝をしてたかというと別にそうでもなかった(父ちゃんごめん🙏)
今回の決断も、
胸を張って「絶対正しい」と言えるわけではない。
パラレルワールドというものがわからない以上どっちが息子にとって正解なのかも検証しようがないのです。
少なくとも今は、
家族の会話が生まれる可能性に賭けた。
その一点だけは、はっきりしています。
これが遠回りなのか、必要なプロセスなのかは、きっとずっと先にならないとわからない。
今後も迷いながら、考え続けながら決心をしていくだろう、それが自分の役割なのだと思っています。
※説明責任として
今回の息子のフィリピン療育留学は日本への帰国を前提とした一時的なもので、住民登録や各種制度についても、担当機関に確認の上で適切に対応していただいてます。
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