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発達障害の『グレーゾーン』と診断された話

更新日:2021年8月24日




最近、僕の周りに集う人達にADHDだとかHSPとかいう人達が多い傾向があり、自分も気になって、これを機に診断受けてみる事にしました。妻も心理学を専攻していたこともあり、診断をうけることにかなり理解がありましたので。


※ここではADHDやHSPやASDやアスペルガーなどの説明は省きます


というのは、僕は子供のころから『変わってる』『落ち着きがない』子供だと言われていたものだし、大人になってからも就職していた頃(自衛隊時代)、真面目にとりくんでいるはずなのに『空気読めない』『努力が足りない』『注意力が足りない』『ふざけている』などと罵られたりブチ切れられることが多く、どこの誰よりも仕事できない、ポンコツの烙印を押されていたからです。


どのくらい変わり者、ポンコツだったかというとこういったエピソードがあります


小学校時代

1、周りのみんなが休み時間にサッカーばかりしているから天邪鬼である僕はサッカーをやりたがらずに一人でバスケをしていた。

2、ドッチボールの授業の時、受け止めたボールをもってそのまま校庭の外へ走って逃亡したことがある

3、登下校では基本一人。いつもいつも誰も歩かない側溝の細い道の上をバランスとって歩いていた、なので今でも丸太など細い道の上を歩くのがかなり得意


中学時代

1、決して不真面目な生徒ではなかったけれど学校の授業をじっと座って聞くことが出来ないため、勉学は基本的に赤点ばかり、しかし世界地理だけは好きすぎてほぼ満点に近かった。

2、バスケ部として部活に熱中し、それなりの実力と努力量が周りに評価されてキャプテンに選ばれる

3、練習後には毎日スリーポイントシュート100本が日課となっていて(スラムダンクの神宗一郎の5分の1程度だが、、)チーム随一のフリースローとスリーポイントシューターだった。という事には秀でていた。

4、キャプテンとして体育館のカギを預かっていたけれどそれをよく無くしていた

5、キャプテンでもありチーム内1,2番目の実力を持っていながらも、最後の夏はレギュラーからは外されていた、きっと僕が自分が入るとパスワークとかゲーム作りがおかしくなるからだろう



高校時代

1、学校では殆ど友達が出来なくて楽しくなかった

2、友達が出来ないならばせめてイジメられないためにと筋トレを始めたらそれに熱中し、ベンチプレスでは100kg上げるようになり体育会系の人達の誰にも負けないほどの筋肉をっぷり(これを使えない筋肉と呼ぶ)

3、勉学は基本赤点で必ず追試は受けさせられ留年の危機に瀕していた


自衛隊時代

1、エース(逆の意味)とかKYとかアスペルガーとかいうニックネーム

2、明らかに仕事はできないタイプだったけれど体を鍛える努力は誰よりもやっていて体力だけには秀でていた。

3、気遣いが下手で変なことばかりするため夜中まで特別に説教されることも多々あった

4、飲みにケーションが特に嫌で、それでいつも更に怒られていたトラウマ

5、ポンコツのくせに日本一の部隊やPKOイラク出兵に志願したりする意味不明な向上心

6、説教されたり非難されすぎて自殺を考えるほどに辛かった時期もある


こんな感じで、組織にいたら明らかに目立つ存在であり、何かを教えてもらうとき聞いて学ぶ力もかなり劣っていて(多分理解の仕方が他の人とズレているから)周りの人が普通にできることができなかったりチームとしてきっちりやるべきところをしっかりできなかったり、逆にやってほしくない余計な事をしたりしていたわけで、組織だったり職場にいると明らかにポンコツだったと思います。

(例えば、目の前の小さい作業である仕事に集中するべき時に、自分は自衛隊としてどうあるべきかとか強くなりたいとかを考えてる明らかにおかしいタイプだったのです)


24歳以降は組織を離れ、自分主体で生きたいように生きるようになってからは幸福度は爆上がりし、今では自分の生業で食っていけるようになりましたのであまり不便を感じてはいませんが、それは僕が成長したというわけではなく周りの環境がかわり自分のポンコツな部分が障害にならないようになっているのだと思います。


実際には今でも人とのかかわりの中で若干不利な部分をこうむってしまう部分があります。

というのは人とおしゃべりするのが決して嫌いなわけではなく(むしろ異常に好きすぎる方だと思う)、一対一の会話であればそこまで際立たないと思うけれど、4人以上の会話が苦手だったり、飲み会のようなものが苦手だったり、バカにされてるのか曖昧な表現がよくわからなかったり、指摘されると怒られてるように感じてしまう、冗談や皮肉が分からない、小さいことが気になりすぎる、あとはよく物をなくす。

ひどいときは、お客さんからいただいた宿代3万円をそのまま封筒に入れて暖炉で燃やしてしまったこともあるし、最近では外出先でいつの間にか結婚指輪をなくしたりもした。


こういうことを意識するまでは自分が特殊である事に気づかなかったし、長年、これらの感じ方やうっかりを僕は誰でも起こりえる普通の事だと思っていましたがどうやら自分の感じ方ややらかし方は普通じゃないということを最近知りました。


ちなみにですが、遺伝も高い確率で影響あるらしく、僕の母方の兄弟も精神病で難ありで早死にしてしまったり、僕の父も結構やらかしで大怪我して入院することがかなり多く、一時期、父と同じ道路工事現場で働いていた時は父の不注意により僕が数秒反応が遅れいたら指を失いかけた事件もあったし、最後は不注意の事故で死んでしまった。だから僕もその性質があるのを理解しているからこそ車の運転とか機械の操作には特にかなり気を付けているつもりです、、、、


かといって、一筋縄ではいかなかったけれど紆余曲折あってすでに自分の道を見つけた僕はもう35歳だし、長年自分自身と向き合い続けて色んな事にチャレンジしてきたわけでありそれなりに自分の得意不得意はわかっているつもりで、今更発達障害といわれてもどうすることもないけれど、こうやって今までやらなかったアプローチで学術的に見てもらうっても一つ面白いなと思って、今回、診察してもらおうという事になりました。


CTで頭の中を見てみらったり

はい・いいえなどの質問に〇をつけたり