なぜ2010年代前半はバックパッカーにとって最高の時代だったのか
こんにちは、天空の茶屋敷のお父さんの坂本治郎です。
色々思う事があり僕の著書
を英語編集しています、AIの翻訳精度もものすごく上がりました、そしてしっかり自分で読み直して改めて今の目線から編集しネイティブチェックもしっかり入ります。
本書に入れることが出来なかった人生観を変えたようなエピソードも入っていますし。つまりシンプルに翻訳ではなく事実上の改訂版という事になります。
予定タイトルはBreak The Chains : A 2000 Days Journey to Find a Home
非ネィティブにも読みやすく、英語学習として多読している日本人にとっても自信をもっておススメできる作品に仕上がると思います、というか僕自身英語多読のために外国人の旅ブログや旅本読んだりするけれど、やはり文化背景が違うので没入しずらい部分がある、こういう日本人の本があったらむしろ自分が読みたかったくらいです。
是非、Kindleからお求めいただけたら嬉しいです。

さて、改めて自分の物語を編集していていろいろ思う事があったのでここにつづりたいです。
それは、ゴールデンタイムは後になって気づく、そしてすべては諸行無常という事です。
2010年、24歳で世界へ
僕が世界一周の旅に出たのは2010年。24歳のときでした。
今になって振り返ると、最初の世界一周してた2010年~2012年頃というのは、バックパッカーにとってかなり絶妙な黄金時代だったんじゃないかと思います。
もちろん、もっと前の時代から旅をしていた人たちからすれば、
「いやいや、本当のバックパッカーの黄金期はもっと昔だぞ」と言うでしょう。
なので手探りの大冒険だった時代とか一番盛り上がっていた時期というよりも、総合的なバランスを見て一番よかった時代だったという事です。
ちなみに、僕自身も「あと2年早く旅に出ていればよかった」と思うことがあります。
自衛隊を6年やらず、任期制で4年で辞めて満期金をもらい、2008年頃から旅に出ていれば、22歳から旅していれば、、
何度もそう思いました。
でも、その一方で、旅先では逆のことを言う人にもたくさん出会った。
「24歳でそんな旅ができて羨ましい」「自分ももっと若い頃に出たかった」「30歳になる前に世界を回ってみたかった」
結局のところ、「もっと早くやればよかった」という感情は、多くの旅人が持つものなのだと思います。
24歳で旅に出た僕は、22歳で出たかったと思う。
でも30歳で旅に出た人から見れば、24歳は十分若い。
40歳で旅に出た人から見れば、30歳ですら若い。
だから、24歳で世界一周に出たというのは、決して遅くはない。
むしろ、かなりいいタイミングだったのだと思います。
そして、年齢だけではなく、僕が旅をしていた「時代」そのものが、かなり良かった。
今のようにスマートフォンが完全に旅の前提になる直前だったからGoogle Mapsを開けばどこにでも行けるわけではない。
世界中の宿をBooking.comで瞬時に比較できるわけでもない。
Uberを呼べば知らない街でも目的地まで連れていってくれるわけでもない。
翻訳アプリに向かって日本語を話せば、現地語に変換してくれるわけでもない。
知らない町に着いたら、とりあえず歩く。
安宿街を探す。
路上の人に聞いても言葉は通じないから身振り手振り
宿の人に聞く。
旅人同士で情報交換する。
「次はどこへ行くの?」
「その国境って今通れる?」
「この町からバスは出てる?」
「その宿いくらだった?」
そんな会話から、次の旅程が決まることも多かった。
今から考えると、相当に不便だった。
でも、その不便さによって生まれる交流というものは確かにあったのです。
怪しさがあったから旅だった
もう一つ言えば、怪しさが良かった。
今の旅は、あまりにも情報が可視化されました。
宿を予約する前に、部屋の写真が何十枚も見られる。
Googleの口コミがある。Booking.comの点数がある。
レビューを読めば、スタッフの対応からシャワーの水圧まで分かる。
移動手段も値段も、ある程度事前に分かる。
今はそれが当たり前です。
でも、昔の旅には、「これ、本当に大丈夫なのか?」という瞬間が山ほどあったのです。
昔のカオサンロードのような旅行者に便利な安宿街がどこにでもあり、だいたい旅人はそこに集う、そこの旅行代理店で、よく分からない謎の紙切れみたいなチケットを渡される。
「明日の朝6時にここに来い」と言われる。
本当にバスが来るのか分からない。
来たと思ったら、違う会社だったという事もあったしバスが止まった隙に荷物を盗まれることもあったし、バスごと止められて強盗に会うこともあったとも聞きます
国境の手前で降ろされて、「ここから歩け」と言われたりもありました。
安宿だって、ネットで確認してから行くわけではない。
着いてから部屋を見せてもらう。
「まあ疲れてるしここでいいか」と決める。
客引きも怪しい。
旅行代理店も怪しい。
両替屋も怪しい、ニセ札があるかもしれない。
宿も怪しい、清掃スタッフに盗まれるかもしれない。
現地で会う人も、たまに怪しい。
でも、その怪しさの中で、
「これは大丈夫そうだ」「これはやめた方がいい」「この人は信用できそうだ」
と自分で判断していた。
つまり、旅をするということは、単に観光地を見ることではなく、
自分で判断しながら世界を進んでいくことでした。
もちろん危険なことは美化すべきではなく。安全な方がいいに決まってます。
でも、あの「何が起こるか分からない感じ」は、旅の大きな魅力だった。
世界が、まだ全部説明されていなかった。その感じが僕は好きでした。
そして、もう一つ大きかったのが、
今ほど観光客で世界中がごった返していなかったこと。
もちろん、2010~2012年当時でも有名観光地には観光客はたくさんいました。
パリにもローマにもバンコクにも観光客はいました。
でも、今とは明らかに違った。スマートフォンもSNSも今ほど一般化していなかったから。
Instagramである場所の写真が世界中に拡散されて、
「ここに行けばこの写真が撮れる」
という理由だけで、一気に観光客が押し寄せるような現象はまだ弱かったのです。
今では世界中の隠れた場所までSNSで可視化される。
うちのような山奥でも、「絶景スポット」として拡散されれば、数年後には世界中から人が集まる。
昔は、そうではなかった。
ある町へ行ってみたら、
「外国人、ほとんどいないな」
ということが普通にありました。
有名観光地から少し外れれば、地元の人の日常の方が圧倒的に強かった。
観光地として整備されきっていない場所も多かった。
旅人向けの店が並んでいるのではなく、
普通にそこで暮らしている人たちの生活の中に、こちらが入り込んでいく感じがあった
今は世界中のほぼ全部の有名な所は観光地化しています。
もちろん観光によって豊かになった地域もたくさんあるでしょう。
旅行者にとっても便利になった、でもその代わりに、
「まだ観光客に発見されきっていない世界」
は確実に減りました。
カオサンに集まる意味があった
僕が旅していた頃は、古き良きと現在の中間だった気がします。
そしてバンコクのカオサンロードのような旅人通りも、今考えると象徴的でした。
昔のカオサンは、単なる安宿街ではなかった。
オフライン時代に旅を続けるために必要なものが、あそこに集まっていたのです。
航空券を買う。
ビザの情報を集める。
長距離バスを予約する。
両替をする。
安宿を探す。
次の国の情報を聞く。
旅仲間を見つける。
だから、「とりあえずカオサンへ行く」という意味があった。
そこに行けばだいたい日本人を含めたくさんの旅人がいるので何とかなる。
誰かが知っている。何か情報がある。
次の旅へ進むためのアジトでした。
でも、今は。
航空券はスマホで買える。
宿もスマホで予約できる。
現金は世界中のATMで下ろせる。
地図もある。
翻訳もある。
交通手段も調べられる。
極端に言えば、バンコクの空港に着いた瞬間、そのまま一人で次の町まで行ける。
カオサンに集う必要がない。
だから、今のカオサンは昔とは違う役割の場所になっている。
昔は、情報がないから人が集まった。
今は、情報がありすぎるから、人に会わなくても旅ができる。
これはものすごく大きな変化だと思います。
そして、ここまでの話に関してだったら僕の旅していた2010年前半よりももっと前の方が美しかった時代だと思います。
旅はアナログ、縁はデジタル
僕らの2010年前半が良かったのはここからです
まだスマホに支配されていない。
でも、インターネットは十分にあった。
そして何より、Facebookがあった。
これが僕らの世代の旅ではかなり大きかったと思います。
もっと昔のバックパッカーは、旅先で人に出会っても、その後の縁を維持するのが難しかった。
住所を書き合う。
電話番号を交換する。
メールアドレスを書く。
それでも、しばらくすれば連絡が途切れる。
旅先で数日一緒だった人と、そのまま一生会わない。
それも普通だったと思う。
僕らの頃は違いました。
旅先で出会った人とFacebookでつながった。
その人がその後どこの国へ行ったのか分かる。
帰国したのかも分かる。
結婚したのかも分かる。
仕事を始めたのかも分かる。
何年も経ってから再会することもできる。
つまり、旅そのものはまだアナログだったのに、縁だけはデジタルで残せた。
このバランスが、ものすごく良かったのかなと思います。
まだ紙の地図を持って旅をする。
まだ人に聞きながら宿を探す。
まだよく分からないバスに乗る。
まだ怪しい旅行代理店を使う。
その一方で、旅先で出会った人とはFacebookでつながる。
2010年前後というのは、そういう過渡期だった。
そして、もう一つ大きなことがある。
僕らの世代から、旅路の果てに、自分が何者になったのか」まで発信する人が増え始めた。
これも僕ら世代ならではのかなり面白い視点だと思います。
昔だって、長期旅行者はたくさんいたはず。
インドを半年放浪した人。
ユーラシア大陸を横断した人。
南米を一年旅した人。
世界一周した人。
今の50代、60代にも、若い頃にものすごい旅をしていた人はかなりいるはずです。
でも、その人たちの多くは、今の僕たちからは見えない。
なぜなら、当時は個人が自分の人生を発信する手段がほとんどなかったから。
自分で手記で旅ログを付けてる人はいるだろうけれど、旅の経験を世の中に残そうと思ったら、本を書く。
雑誌に寄稿する。
テレビに出る。
そういう方法くらいしかなかった。
つまり、出版社やメディアに選ばれた一部の人しか、旅の経験を広く残すことができなかった。
だから、昔の旅人について調べると、
「旅行作家になった人」「本を書いた人」
ばかりが目に入る。でも、実際にはその何十倍、何百倍もの人が旅をしていたはずです。
そして旅を終えたあと、多くの人は普通に会社員に戻ったのだと思う。
当時は、「世界を一年放浪していました」という経歴が、今ほど肯定的に受け取られる時代でもなかった。むしろ、「何をしていたんですか、その空白期間は?」と聞かれる。
どんなに素晴らしい体験と学びがあったのか、さすがに行ったこともない人には理解されないから履歴書ではそこは薄めて書く。
職場でも、「昔、インドを半年旅していたんですよ」なんてわざわざ言わない。
会社員として普通に働く。家庭を持つ。
そして、若い頃の旅は、その人の中だけに残る。
もしかすると今、みなさんの会社で普通にスーツを着て働いている50代、60代の人の中にも、「実は若い頃、アフリカを一年旅していた」「インドからヨーロッパまで陸路で行った」みたいな人が結構いるのかもしれません。でも本人が語らなければ、誰にも分かりません。
その人が死ねば、その旅の記憶も一緒に消えていく。
僕らの世代は、そこが違ったのです。ブログが一般化した。Facebookが一般化した。
そして、その後SNSが出てきた。
だから、旅をしていた人が、
帰国した。
仕事を始めた。
会社を作った。
田舎へ移住した。
宿を始めた。
結婚した。
子どもができた。
政治家になった。
海外へ移住した。
そういう、旅の「その後」まで発信できるようになりました。
つまり僕らは、
長期旅行者がまだそこそこいた時代を旅しながら、その旅の先で自分が何者になったのかを、一続きの人生として世の中に見せられるようになった最初の世代
だったのかもしれません。
これ以前は、旅人は旅を終えると社会の中へ消えていった。
それ以降は、旅人がその後どうなったのかが見えるようになった。
これは、かなり大きな違いだと思います。
旅人が先、発信者は後
しかも僕らの頃は、まだ「発信するために旅をする」という感じは薄かった。
今なら最初から、世界一周YouTuber。旅系インフルエンサー。
ノマドなどの文脈で生産活動をしながら世界中を回るかたもいます。
そういう生き方も成立する。
つまり、旅と発信が最初からセットになっているケースが成立する。
でも2010年頃は、まず旅があった。
純粋に面白いから旅をした。
世界を見たかったから旅をした。
その結果、人生が変わった。
出会った日本人のほとんどがポジティブニートでした。
そして、その後の人生をネットで発信することができた。
旅人が先で、発信者は後。
そう考えると、2010年から2012年頃というのは、
本当に絶妙だったと思います。
昔ながらのバックパッカー文化がまだ残っていた。
旅には怪しさがあった。
不便さがあった。
偶然性があった。
観光客で世界中が埋め尽くされていなかった。
長期旅行者もそこそこいた。
一方でFacebookやブログがあり、人との縁や、その後の人生を残すことができた。
黄金期は終わってから気づく
さらに当時は円高だった。
日本人にとって海外旅行のコストも、今と比べればかなり有利だった。
トータルで考えると、僕はものすごくいい時代に旅をしていたのかもしれません。
もちろん、そんなことは当時はわかりませんでした。
カオサンの安宿も、旅人同士の情報交換も、怪しい旅行代理店も、よく分からないバスも、
ずっとあるものだと思っていました。
バックパッカー文化も、このまま続いていくような気がしていた。
でも続かなかった。
世界は変わった。
コロナで世界のトレンドは大きく変わったし、タイだってベトナムだって発展し、グーグルなどで評価が可視化され怪しいものは自然淘汰されていきました。
日本社会全体としての『仕事を辞める事や転職へのハードル』も大きく変わったと思います。デジタル化され海外でも働けるようになった今、旅のスタイルも変わりました。
人とのつながり方も変わった。今海外に長期で出ている人はみんながみんなポジティブニートや日本社会からの脱落者ではない。
そして今になって、「あれは一つの時代だったんだな」と分かるのです。
これを考えていると、結局、諸行無常という言葉に行き着く。
すべてのものは変わっていく。ずっと続くと思っていたものも、いつか終わる。
その時代の中にいる本人は、それが黄金期だとは気づかない。
なくなってから初めて、「あの時代、実はすごく良かったんじゃないか」と気づく。
今の若者にも「今だけ」がある
でも、これは2010年代の旅だけの話ではないと思います。
年配の方が昔はよかったということがあるように、僕だってそう思う事はある
そして今の若者だって、将来、「自分たちは実はものすごくいい時代を生きていた」
と振り返ることがあるかもしれません。
たとえば、もっと先の未来。
VRが今とは比較にならないくらい発達したとしたら。
自宅にいながら、パリの街を歩ける。
ヒマラヤの山頂に立てる。
マチュピチュを歩ける。
現地の人とAIを介してリアルタイムで会話できる。
匂いや触覚まで再現される。
そうなったら、「わざわざ10時間飛行機に乗って海外へ行く必要あるのか?」という時代が来るかもしれません。
飛行機による環境負荷が問題になって、自由に海外旅行すること自体が今より難しくなる可能性だってあります。
あるいは旅行そのものが、ものすごく高価な贅沢になるかもしれません。
その時代の若者から見れば、2020年代の若者たちは、
「航空券を買えば普通の人が世界中どこへでも行けた世代」
になり。「昔は数万円払えば海外へ行けたらしいよ」
と言われるかもしれません。
今の僕らからすると、「そんなの普通じゃん」と思う。
空き家も、子どもも、諸行無常
でも、2010年の僕がカオサンロードを当たり前だと思っていたのと同じで。
今当たり前に存在しているものが、未来にもある保証なんてどこにもない。
だから、今の若者たちにも、今の時代にしかない黄金期がきっとある。
それは旅行だけではなく。
たとえば、田舎の空き家。
今の日本では、地方へ行けば驚くほど安く家を買えることがあります。
場合によっては僕のように、「住んでくれるならあげる」という話さえある。
古民家を安く手に入れる。
自分で改修する。
宿にする。
カフェにする。
二拠点生活の拠点にする。
そんなことが、普通の人にもできる時代になっています。
これだって、ずっと続くとは限りません。
あと20年、30年したら、地方のインフラそのものが維持できなくなって、
「家はタダだけど住めません、インフラは自腹です」
という時代になるかもしれない。
逆に、地方暮らしが再評価されて、今は数百万円で買える古民家が、ものすごく高くなる地域もあるかもしれない。
そうなったら未来の人は、「2020年代って、田舎の古民家をほとんどタダみたいな値段で手に入れられたらしいよ」
と言うかもしれません。
今の僕たちは、「田舎なんて空き家だらけだよ」と思っている。
でも、その状況そのものが、歴史的に見れば一瞬の特殊な期間なのかもしれません。
そして、もっと誰にでも分かる話をすれば、
子どもが小さい時期もそうです。
子どもが小さくて、抱っこできる。
膝の上に乗ってくる。
一緒に寝たがる。
意味の分からないことで笑う。
親を見るだけで喜ぶ。
そんな時期は、ずっと続くように感じる。
毎日一緒にいると、
大変だ。
うるさい。
眠い。
自分の時間がない。
早く大きくなってくれないかな。
そう思うことだってある。
でも、ある日突然、抱っこしなくなる。
一人で寝るようになる。
友達と遊ぶ方が楽しくなる。
親より自分の世界を持つようになる。
そして後になって、
「あの頃、本当にかわいかったな」
と思う。
写真を見て、「もう一回、この頃の子どもに会いたいな」と思う。
でも戻れない。
それが永遠に続くような気がする。
でも、続かない。
すべて変わっていく。
だからこそ、今を黄金期だと決めつける必要はないと思う。
今ここにあることが、実はものすごく貴重なことなのかもしれません。
2010年代前半の僕は、そんなことを考えずに世界を歩いていました。
黄金期なんて、その時には分かりません。
ただ夢中で生きて、ずっと後になってから、「ああ、あの時は良かったな」と気づく。
それくらいで、ちょうどいいのかもしれないし、人生そんなものなのでしょう。
だから今、英語版を作る
外国人のお客さんから「英語版はないの?」と聞かれることも以前からあり、最近のAIの翻訳・編集精度のものすごい向上もあって、改めて著書の英語版を作っています。
40歳という一つの節目に、もう一度自分の人生を振り返り、今の自分の視点から編集し直してみたいという気持ちもありました。
そして何より、僕の息子が将来、日本語が得意になるのか、英語が得意になるのか、今のところまだ分かりません。
いつか彼が大きくなって、「父親は若い頃、何を考えて、何をして生きていたんだろう」
と興味を持つ日が来たとき、日本語でも英語でも読める形で残しておきたい。
そんな思いもあって、最近また執筆活動をしています。
考えてみれば、これも「今だからこそ」かなりカジュアルにできることです。
少し前まで、本を一冊丸ごと翻訳して、英語として読める文章に整えて出版するなんて、とんでもなくお金のかかることだったと思います。
僕くらいの無名な著者が個人でやろうと思っても、とても現実的ではなかったはずです。
それが今はAIを使いながら、自分で何度も文章を読み返し、書き直し、英語ネィティブの友人にもチェックしてもらいながら、一冊の本として仕上げていくことができる。
時代が変わったなと思います。
そして、おそらくこの英語版が出版される頃、天空の茶屋敷ももうすぐ10周年を迎えます。
そもそも僕は、宿を始めようと思ってこの家を選んだわけではありません。
旅を終えて日本に戻り、いろいろな人が自然と周りに集まるようになり、その流れの中で、ある日、山奥にある古い家を譲ってもらいました。
ただ、人の縁でたどり着いた場所だった、それだけでした。
そこにまた自然と人が集まるようになり、いつの間にか宿を始めることになりました。山奥にある古い家です。ホテルのように設備が整っているわけでもない。アクセスもかなり不利です。
そして何より、宿主も含めて(笑)、万人受けする宿ではありません。
だから当然、10年間いろいろありました。
「最高だった」と言ってくれる人もいれば、「ここは自分には合わなかった」という人もいる。良いレビューもあれば、悪いレビューもあります。
でも、それでいいんだと思います。
誰かに「地域活性化の成功例」として持ち上げてもらって、それだけで続いてきた場所ではありません。実際にお金を払って泊まりに来た人たちから、良くも悪くも普通に評価され、競合する宿もどんどん増え、旅行のスタイルも変化していく。その市場の中に晒されながら、形を少しずつ変えつつ、それでもなんだかんだ10年近く続いてきました。
高評価しかないことが大事なのではなく、賛否も含めて実際の市場の中で宿として成立してきた。そのことには、それなりの意味があるように思います。
だから天空の茶屋敷は、「宿経営を成功させるために計画して作った場所」というより、
人生の流れの中で偶然生まれた場所が、結果的に事業としても成立していった
という方が近いのかもしれません。
僕の本は、約2000日間の海外放浪の末に、この山奥の家へたどり着くまでの物語です。
でも当然、人生はそこで終わりませんでした。
この場所にたどり着いてからも、もう10年近い時間が流れています。
そして最近は、以前よりも強く「諸行無常」というものを感じるようになりました。
地域も変わる。
人も歳を取る。
自分自身も変わる。
天空の茶屋敷だって、今と同じ形で永遠に続くわけではありません。
もしかすると何年も経ったあと、
「あの頃が、この地域にとって一番いい時間だったな」
と思う日が来るのかもしれません。
この地域にまだ人がいて、周りのおじいちゃん、おばあちゃんたちも元気で、この山奥まで世界中から人がやってきて、みんなで笑ったり、ご飯を食べたり、川で遊んだりしている。
今まさに過ごしているこの時間が、後から振り返れば、この場所の「ゴールデンタイム」だったという可能性だってあります。だからこそ、永遠に続けようと無理をするのではなく、
今ここにある時間を、ちゃんと大切にしたい。
そんなことも、40歳になった今は思います。
英語版は、順調にいけば今年中にはkindleなどの電子書籍として販売までたどり着けるんじゃないかと思っています。
英語が読める方は、是非拝読いただけたら嬉しいです。





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