top of page

なぜ日本は安い国になったのか?ミニマリスト的な自由生き方と“ズルさ”の自覚

更新日:1 日前




最近「日本はもう安い国になってしまった」と言われることが周知の事実として認識されました。


実をいうとこれ、僕は世界一周を終えた2012年(1ドル100円ちょっとの時)くらいからすでに気づいていたんです。その当時ですらクオリティで考えるなら日本は世界一安いと、、、


それが今加速されてしまいました。ラーメンは5ドルくらいで食べられるし、民泊に来た外国人観光客は、みんな「このクオリティでこの値段?信じられない」と言ってくれます。

例外なのもあり電車賃は30年以上ほとんど変わっていないけれど、それでも海外よりは高い。昔って相対的に相当高かった、だから外国人向けのJRパスもあんなに不公平に安かったんだろう(ここは最近改正されました)

あとは、日本のフルーツは総じて高いといわれます。ここはクオリティにこだわる背景があるとおもうのだけれど、また別のブログで。


しかしながら、僕が2010年と2011年にアメリカを旅していた頃は逆でアメリカの方がはるかに安く感じました。宿とレストラン(チップ込み)以外は基本的に日本よりアメリカがリーズナブルでした。



なぜ日本はこんなにも安くなってしまったのか?

答えはシンプルじゃないけれど、いくつかの要因があるといわれています。


1990年代のバブル崩壊以降、日本は長い間、物価が上がらない「デフレ経済」に苦しんできました。モノの値段が上がらないということは、企業が利益を出しにくくなり、給料も上がりません。日本ではこの30年間、ほとんど賃金が上がっていないのです。世界の先進国の中で、ここまで長く給料が横ばいの国は他にありません。


加えて、非正規雇用(パート・アルバイトなど)が全体の4割近くを占めるようになったことも、平均的な給料の上昇を押し下げました。頑張っても給料が上がらない社会では、人々の消費意欲も下がり、経済全体が元気を失っていきます。


そして「円安」で、ますます「安い国」に

近年、円の価値が急激に下がり、1ドル=150円という水準まで落ち込みました。これは日本から海外へ行くときには不利になりますが、逆に海外の人からすると、日本はとても「安い国」に見えるようになります。


たとえば、欧米の観光客からすると、日本では高級な寿司が数千円で食べられ、温泉付きの宿泊施設にも数万円で泊まれる。「このクオリティでこの価格?」と驚かれるのも無理はありません。


新しい産業が育たない構造

アメリカではGAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)といった新しいIT企業が経済のエンジンになってきましたが、日本ではそうした企業がほとんど生まれていません。規制が多く、失敗に寛容でない文化の中では、挑戦する人も育ちにくくなってしまいます。

(ホリエモンのような人が叩かれる、出る杭は打たれる残念な側面が最悪なスパイラルを産んでると僕は思います)

また、かつて世界に誇った日本の製造業も、コストの安い海外に拠点を移し、国内の産業は徐々に空洞化していきました。その結果、日本の地方経済はさらに元気を失い、「安さ」しか武器がなくなってしまった地域も少なくありません。


少子高齢化と未来への投資不足

日本は世界の中でも突出して少子高齢化が進んでいます。働ける人が減れば、経済の力も落ちていきますし、将来に対する不安があると、家やモノを買おうという気持ちにもなりません。その一方で、教育や子育てへの公的投資は他の先進国に比べても少ない状況が続いています。未来を担う世代への支援が薄いままでは、新しいイノベーションもなかなか生まれてこないでしょう。


「変化を避ける文化」が衰退を加速させた

日本は安定を重んじる社会です。それ自体は悪いことではありませんが、変化が必要なときに腰が重い、というのは問題です。政治や官僚機構も保守的で、制度改革や新しい挑戦が進みにくい土壌があります。


教育も詰め込み型が中心で、創造性や起業家精神を育てるには不十分です。グローバルな競争の時代において、「変わらないこと」が結果的に「取り残されること」になってしまったのです。


「安くなった日本」は、決して一朝一夕にそうなったわけではありません。長い時間をかけて、気づかないうちに「ゆっくりと貧しくなっていった」国なのです。


そんな外国人にとっては、まさにパラダイス。美しい自然、時間通りの電車、丁寧な接客。それが信じられないくらい安い。僕のように外国人を相手に商売している人間にとっては、ありがたい状況ではあるが、心のどこかで嫉妬してしまう部分がある。


我慢を美徳としてきた日本人が、報われていない

僕らは、小さい頃から「人に迷惑をかけるな」「ルールを守れ」「出る杭になるな」と教えられて育ってきた。

そうやって、自分を抑えて、空気を読みながら社会の一部として生きてきた。真面目に働いて、文句も言わず、コツコツ積み重ねてきた。

なのに、自由奔放に生きてきた西洋人が、ふらっと日本に来て「ここ最高!」と言って、安く快適に旅を楽しんでいる。それを見て、「なんか釈然としない」と感じる人も多いと思います。



でも――そこで立ち止まって、ふと考えた。

もしかしたら、僕自身も“ズルい”側にみえてるのかもしれない

24歳までの僕は既存のレールと鳥かごの中で生まれ育っていましたので確かに我慢と努力の日々でした。

しかしながら、そこから脱出した。それ以降は自由に2000日も海外を放浪して、田舎に移住した。ラッキーなことに家ももらい、当時はやっている人は少なかったような、田舎に外国人を連れてきて、日本文化を紹介するようなビジネスを立ち上げた。

(正確には外国人向けに始めたわけではないけれど、ふたを開けたら外国人しか来なかった)


収入も上がり、テレビやメディアにも取り上げられて、知名度も得た。その勢いのまま、市議選に出馬したら、しがらみにとらわれない姿勢が支持されて、当選もしてしまった。


振り返れば、他の人が何年もかけて積み上げるようなものを、僕は"社会のスキマ"を縫うようにして、ジャンプしてきたのかもしれない。


それを、「ズルい」とか「調子がいい」と思っている人が、地元にもいるかもしれない。


ミニマリストとして生きる、資本主義のバグ

僕は大きく稼ぐために都会に行ったわけでも、大企業に就職したわけでもない。むしろ、逆、もともとは豊かに生きるためにはお金を使わないという発想だった


  • 持ち物も生活費も極限まで削った。

  • 家はタダ同然で手に入れた。

  • お金はあまり使わないが、やりがいのある仕事で稼ぐ。


誰もやらない時代に誰もやらないことをやったことが功を奏しただけ

いわば、資本主義のバグを活かして、楽しく、自由に、そして人とのつながりも大切にしながら暮らしている。これって、普通の人から見ればズルいのかもしれない


この立場だからこそできる社会貢献を考えたい

嫉妬や違和感を持たれることは、ある意味“目立ってきた証拠”だと思う。

だからこそ、僕はこの立場でできる恩返しがしたい。

今の自分があるのは、空き家をくれた人がいて、応援してくれた人がいて、議員として信じて投票してくれた人がいるから。

だからこそ、「自分だけが儲かる事業」ではなく、「地域と一緒に豊かになる観光」を目指したいと思っている


僕が手にした自由な生き方や選択肢を、次の誰かがもっと自然に選べる社会にしていきたい。それが、僕が“ズルく”生きてきたことへの、ひとつの答えになる気がしております。


Comentarios


bottom of page