第31話、ニュージーランドワーホリで、ゲストハウスの掃除見習いだったのにすぐにマネージャーにまでなった話。

まさかその時は当時の経験が生きるとは思わなかった、人生何が起こるかわからないという話です。
2015年、八女に移住して1年たった次の年、山奥にある10年空き家で取り壊される寸前だった家をもらわないか?とのオファーがあった。
当時田舎移住ニートだった僕にとっては一大決心でした、それをもらってみんなで改修したのはいいけれど、、、その後どうしようかわかってない宙ぶらりんな状態だった。
そして、色んな訪問者の意見を聞いて、『ゲストハウスをしよう』となった。
今、ゲストハウス開業ブームと言われていて、多くの人は資金を集めたり、勉強したり、修行しに行ったり、綿密に開業準備に時間をかけていると思いますが。
僕の場合は誰も知り合いのいない八女に移住し、その一年後には家をもらう。
そしてそれをたくさんの人に手伝ってもらって改修した半年後(移住してから二年後)にはゲストハウスを開業していた。
今になって考えたら田舎移住ブームとかゲストハウス開業ブームとかインバウンドニーズとかそういうトレンドの人達からしたらかなりのスピードで最速で動いているように言われます。
しかし実は僕の場合はそんな目標を持って走りつづけていたわけでもなく、ただ自分の生きたいように生きていた、やりたいことをやっていただけ。
それがたまたま時代と周りのニーズにマッチしたということで加速したというわけです。
その時思ったのが、今まで全く一貫性のないようなことばかりフラフラやってきたと思っていたたけれど、今振り返れば点と点がつながり線になったといっていいのか。
こじつければ
自衛隊でワイルドに鍛えられていた経験も
海外放浪でたくさんの人に出会い、つながりや見聞を広めたこと(その間に英語も修得したこと)
カナダワーホリ時代にオーロラガイド、犬ぞり操縦をしていたこと(ガイド業の経験)
自分のルーツである八女に移住し、小規模でお茶を始めたこと
その自分のおばあちゃんもルーツは笠原にあったこと。
その時、僕はすでに八女に移住して一年間プラプラ遊びながら、日本中・世界中から僕に会いに、泊りに来てくれた訪問者達と一緒に遊んでそこを案内したりしていた経験も十分に積んでいた。
そして、何と言っても、僕はその昔、ゲストハウスを運営していた経験もあったのです。
当時は自分がゲストハウスを経営するなんて思ったこともなかったのですが。
そういったすべての下地がそろっていたから、実際に最初に『ゲストハウスを開業しようかな』と思ってから半年後には実現したのでした。
これらは後付けなのかもしれないけれど。
それらのすべての経験は何らかの力によって導かれるように今やってることにつながっていたのかな???・・・・とも思える出来事です。

僕は一か月フィリピンに滞在した後、、2013年11月より、ワーホリビザをもってニュージーランドへ入った。
カナダワーホリをすでに経験しているだけあって、すでにワーホリというものがどんなものかはわかっていた。
ワーホリに関しての僕の見解はこの記事でたくさん書いています。
『全く英語できない状態から、貯金100万円くらいで世界中を5年くらい放浪しながら英語も確実に習得できる、おススメ人生設計。』