なぜ誰も逆らえなくなるのか。福岡県議会の問題から考える、日本社会の構造
- Jiro Sakamoto

- 7 日前
- 読了時間: 11分
更新日:5 日前
こんにちは、八女市議会議員の坂本治郎です。
全国的にも福岡県議会の一連の疑惑が大きな話題になっています。
エコーチェンバーからか、僕のYoutubeやXなどはもうこの件ばかりの皆さんの怒りの投稿一色であふれかえっています。
当然皆さんよりも近い立場にいる僕からすれば、どう思うか意見を求められる立場でもあり、渦中の方々は知人の知人の人達くらいの距離だったりもしますし
蔵内さんとは挨拶を交わした程度ですが、式典などで何度も見かけしているというくらいの距離感です。
当然同僚市議の中でも話題にはなってます。
僕の周りの政治ウォッチャーたちの批判もそうです
『一般人感覚から浮世離れしてるのは給料が高すぎるからだ💢』
『給料も議員定数も減らせ💢』
『そもそも議員って必要なのか💢』
当然その批判の声も一理あると思いますしもっともな怒りだと思いますが、僕としては、疑惑事実が公式に確定とするまでは、、(絶対黒だろ!っていう思いは押し殺して、公平な目線で)今はとりあえず冷静に物事を見ることが大事だと思っています。
当然、事実関係や個々の責任については、それぞれ検証されるべきです。
調査関係者の方々にはどうかしっかりとやって欲しい。
そして真実を知る方がいるのであれば、適切に必要な手続きをもって明らかにしていくことに期待しています
そして僕は、この一件を見ていて改めて考えさせられました。
僕らが本当に考えるべきなのは、「誰が悪いか」ではなく、「なぜこのようなことが起こってしまうのか」という構造ではないでしょうか?
人は最初から腐っているわけではない
僕は元自衛官です。
18歳で元気いっぱいの若さと体力で新隊員教育を乗り越え、部隊に配属されたとき、先輩から最初に言われた言葉があります。
「腐るなよ。」
当時はよく意味が分かりませんでした。
しかし今なら分かります。
人は最初から腐っているわけではありません。
少しずつ、
「これくらいならいいだろう。」
「昔からこうだから。」
最初はこの業界を良くしてやるという想いを持っていても、やがて自分ひとりにはどうしようもないことに気づいたり、人は楽な方に流れがちであり、多くの人はいつまでも元気いっぱいの新人ではいられない、そんな積み重ねによりそこでの社会の当たり前に流れていってしまい、ダラダラと楽な方に流れていくという事です。
それは自衛隊だけではないし、政治だけではありません。どの組織でも、会社でも学校でも自治会でも起こりえることだと思います。
おそらく予想ですが、今いるベテランや大物政治家と呼ばれる人達だって
最初は誰だって新人、熱い期待の新人として30歳前後で政界の道に入ったのでしょう
そして最初はきっと、うちの若手議員達もそうであるように毎回一般質問に登壇するようなフレッシュな意気込みを持っていただろうし、その中で少しずつ信頼を構築し、周りに認められるように努力していったのでしょう
日本文化の強みが、時として弱みにもなる
日本には太古から続く素晴らしい文化があります。
「和をもって貴しとなす。」
争わず、調和を大切にする。
そして
年上を敬う。
経験を重んじるという事ですね。
それは時として外国人から首を傾げられるほど奇妙に見えることもあるみだいだけど僕はこれらを否定したいわけではありません。
他国にはない日本の治安の良さや社会の安定は、こうした文化によって支えられてきた部分も大きいと思うからです。
しかし、強みには必ず裏側があります。
調和を大切にする文化は、時として「空気を読んでおかしいことをおかしいと言えない文化」にもなりえます。年長者を敬う文化は、時として「年長者には逆らえない文化」にもなりえます。
「長く椅子に座っている人」が一番偉い
政治でも会社でも、日本には「長くその椅子に座っている人が一番偉い」という空気があります。
当然、年数を重ね経験が増えれば知識や判断力も身につく。長年地域で活動すれば人脈もできる。その社会の中での物の言い方とか調整などが上手くなり、物事が円滑に進みます、すなわち一般的にはベテランの方が仕事ができるという事です。
だから社会において年長者を尊重することには合理性があります。
一方で、
長く同じ環境にいることで、成功体験に縛られ、時代の変化を受け入れにくくなる傾向もあります。世間一般では老害と揶揄されますが、これもまた人間です。
そして『そういう実力者』とみんなに認められてる人から嫌われたら仕事がしにくくなる、最悪嫌がらせがあるかもしれないとも考える人もいると思う。人間誰だって居心地が悪い場所にはいたくないわけだから、居心地よくするために嫌われないように努力する
さらに市議よりも狭き門である県議という方々は完全無所属という人はかなり少なく、多くはどこかの組織に所属している、それぞれのポジションがある以上、与党にガンガン突っ込むことを期待されてる野党などでもない限り、嫌われてもいいから自分の意思を全うするなんてことは中々できるものじゃないというのも残念ながら人間の性です。
もちろん、「人間だから仕方ない」で済ませてよいわけではありません。
議員は市民や県民から負託を受け、税金から報酬をいただく立場です。一般の仕事以上に高い倫理観と説明責任を求められるのは当然です。
「そこを頑張るが政治家の仕事だろう、甘えんな」という批判は、当然その通りだと思います。
しかし、人間の良心や根性だけに頼り「政治家なら自制しろ!」と言うだけでは、同じ問題は何度でも起こります。
人は間違える。いつでも強くいられるわけじゃない、権力を持てば感覚がずれる可能性もあるからこそ、異論を言える環境、情報公開、第三者による検証、選挙での競争など、間違いを早い段階で止められる仕組みが必要なのだと思います。
県議会は市民から遠い
そして、この動画で木下さんも言っているのは
県議会という存在が、市民から非常に遠いという問題意識です。
一般の人は、
「これは市の仕事。」
「これは県の仕事。」
「これは国の仕事。」
そう明確に区別して生活しているわけではありません。
困ったことがあれば、
まず僕たち市議に相談する。
そこで市議が調べ、県の仕事なら県議へ、国の仕事なら国会議員へ相談する。
市議は政治の総合窓口になっています。
一方で県議は、道路、河川、県立高校、警察など、重要な仕事を担っているにもかかわらず、その働きが一般市民には非常に見えにくい。
県議の仕事が見えにくいことも、県議選への関心や投票率が高まりにくい一因になってるとも示唆されています
そして投票率が低いほど、組織票は強くなる
投票率が低くなるほど、確実に票をまとめられる大きい組織票の影響力が大きくなります。
農業団体。
業界団体。
政党。
後援会。
当然これらは、あくまで民主主義のルールの中で起こってる事なので悪い事でも何でもありません。問題は、組織を持たない普通の人が、政策を評価される以前に、存在を知ってもらうことすら難しい構造になってしまうことです。
その結果、無名な新人は挑戦しにくくなります。
挑戦する人が減れば競争も減ります。
競争が減れば、さらに長く同じ人が座り続け、その社会でますます力を増す
そして、その村社会ではだれもその人に発言力で勝てなくなる。
そうして、
「逆らえない空気」
が強化されていきます。
民主主義は競争があって初めて健全になる
くれぐれも勘違いして欲しくないのはベテラン政治家を否定したいわけではありません。
経験は大きな財産です。
しかし、経験だけで議席が守られる社会は健全ではありません。
若い人も。
無所属も。
移住者も。
会社員も。
農家も。
誰でも挑戦できる。
そして、勝つか負けるかは有権者が決める。
それが民主主義だと思います。
つまり、僕の理想とする議会はベテランも若者新人も老若男女いい感じの比率で混ざっている状態であり、公平な議論が繰り広げられていることが健全だと思います
(ちなみに、八女市議は年齢の偏りは仕方ないけれど、発言は僕ら新人も自由にしやすい雰囲気になってきたと思います、もうちょっと次の選挙で多種多様な若者や女性が入ってきたらもっとよくなりそうな気がします、どうか是非!)
それでも、なぜ大物政治家を支える人がいるのか
さて、今回だけではなくしょっちゅう大物政治家という人たちの汚職(疑惑)などでニュースを騒がせたりもしてますが、僕も議員になるまでそのメカニズムがわかりませんでした
何故こんな汚い人たちが続投できるの?
民主主義国家なのに、世の中腐った人ばっかりなの??と思ってただけでした
今の解像度はこうです
僕は「支持する人がおかしい。」とは全く思わなくなりました。支持する理由も理解できるようになりました。
長年政治をやっていれば、その得た手腕をもって
道路もできる。
河川も整備される。
病院も誘致される。
予算も持ってくる。
地域の祭りや行事にも顔を出す。
困った時には電話一本で相談に乗ってくれる。
そういう積み重ねがあります。
地域の人から見れば、
「あの人には本当に助けてもらった。」
という実感があるわけです。その恩義は簡単には消えません。
『ちょっとやらかしちゃったけど、悪いところもあるらしいけど、同じくらいいい所あるし、あの人頑張ってくれてるしね』と
人は恩を忘れられない
これは日本人だけではなく、人間として自然な感情だと思います。
助けてもらった人を応援したい。長年地域を支えてくれた人に敬意を持つ。
これは決して悪いことではありません。だからこそ、長く政治を続ける人ほど、影響力も大きくなります。
問題は「恩」が「議論」を止めてしまうこと
しかし、恩を感じることと、何があっても批判できないことは違うと思います。
長年の功績を認めながらも、「ここは違う。」
と言える社会でなければ、民主主義は機能しません。
本当に怖いのは悪人ではなく空気
私は今回の件で、一番怖いのは悪人ではないと思いました。
構造として浮世離れしていってしまう環境が整い過ぎている、そしてその仕組みを作ったのは社会でもあります。
一番怖いのは「誰も逆らえない空気」です。
「この人にはお世話になったから。」
「長年頑張ってきたから。」
「今さら言えない。」
そんな空気が積み重なると、
誰もブレーキを踏めなくなります。
だから新人の挑戦が必要になる
ベテラン政治家を否定したいわけではありません。
むしろ経験は地域にとって大きな財産です。
しかし、どんな優秀な人でも、競争がなければ緊張感は失われます。
だから僕は、何度もここに書いてるように新人がもっと自由に挑戦できる社会が必要だと思っています。
新人が出ることは、現職を否定することではありません。
現職にも緊張感を生み、政治全体を健全にすることになりえます。
私たち一人ひとりにも責任がある
政治は政治家だけで作られるものではありません。
「どうせ勝てない。」
「昔から知っているから。」
「前と同じでいい。」
そうやって我々が選び続ければ『政治が昭和のまま変わらない』というのを今回突きつけられています。
だから僕は、今回の問題をきっかけに、誰か一人を悪者にして終わるのではなく、
新人がもっと挑戦しやすい社会とは何か。
有権者はどんな政治を望むのか。
そこまで考える機会になって欲しいと思っています。
最後に、ではこういったことから学び、私たち一人ひとりに何ができるのでしょうか。
今回の問題を見て、「政治家がもっとしっかりするべき」と思うのは当然です。
ただ、それだけで終わらせてはいけないとも思います。人間は間違えるし、どの業界だって長く同じ環境にいれば浮世離れもあります。
だから必要なのは、立派な人が現れることだけではなく、誰が政治家になっても緊張感を失いにくい環境をつくることです。
現職も新人も、肩書ではなく中身で見る
現職には経験と人脈がありますし新人には、これまでの政治にはなかった経験や感覚があります。
どちらも、それだけで正しいわけではありません。
「長くやっているから。」
「若くて新しいから。」
「知り合いだから。」
「いつもの政党だから。」
ではなく、その人が何を考え、何をしてきたのか。
これから何をしようとしているのか。
そこを見て選ぶことが、有権者にできる最も大切なことだと思います。
政治家の仕事を見えるようにする
議員が議会で何を発言したのか。
どの議案に賛成し、何に反対したのか。
視察にいくら使い、その結果を何に生かしたのか。
普段どんな活動をしているのか。
それが見えなければ、有権者は選挙で評価できません。議員自身が発信することはもちろんですが、市民も「何をしているのか」を問い続ける必要があります。
政治家に死ぬ気で頑張れと言うだけではなく、頑張った人と、何もしなかった人を見分けられる可視化が必要です
挑戦する人を笑わない
僕が最も大切だと思うのは、これです。
立候補しただけで、
「まだ早い。」
「身の程知らず。」
「八女をなめるな」
「勝てるわけがない。」
と言われる出る杭が打たれる社会では、結局いつも同じ人しか選挙に出なくなります。新人が出ることは、現職を否定することではありません。良い現職なら、競争の中でもう一度選ばれればいい。
新人も、出ただけで評価されるのではなく、政策や人物を厳しく見られればいい。
僕は、新人に投票してほしいと言いたいわけではありませんが、新人が立候補しただけで笑われない地域であってほしい。
誰か一人の良心に期待するのではなく、競争があり、仕事が見え、選び直せる。
そんな当たり前の民主主義をつくることが、今回の問題から私たちが学ぶべきことではないかと思います。
という月並な道徳の教科書に書いてようなことになりましたが
想いをまとめると、
『チャレンジする人がもっと評価される社会になってほしい』
ということです。



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