重度障害児に認定されました。
- Jiro Sakamoto
- 2 日前
- 読了時間: 10分
更新日:3 時間前
息子・龍之介には発達障害の特性があるため、昨年から保育園に加えて黒木町の「八女総合療育館にこにこ」に通っています。
ここの館長が帰国子女であり英語が流暢ということで、妻としても僕を介さずにダイレクトに療育館とコミュニケーションをとることができ、とても心強くありがたく感じています。

こうして保育園の先生方や療育館の先生方と息子のためのミーティングを定期的に行っているのですが、大人7人が1人の子どものために会議の時間を設けてくれるというのは、なんてことなのだろうと思います。そしておどろきなのが、このミーティング、半分は英語で行われてます。
意外と侮れない日本の田舎の英語力
僕が黒木に来た時の印象は『この町は英語できる人なんてほぼいない』という印象でしたが
外国人の妻を持って生活をしている今の印象はこうです
『思ったよりかなりの人が英語しゃべる』
通ってる黒木保育園の先生も普通に妻と英語でやり取りしてるし
病院の年配の先生も普通に英語通じるし
黒木の元町長夫妻もそうだし
あと、英語できないと言いながら外国人としゃべるような人おっちゃん達もいる
移住者界隈はまあ当然のように英語しゃべるし
黒木町の英語通用度の割合という意味ではもしかしたら普通の都会よりも、、、と思ってしまいます。(明確なエビデンスがないのでわかりません)
こういった所は外国人生活者としての目線が入った変化だと思います。
そして、こんなに外国人に対して日本は住みやすい(住みにくいかもしれないけれど、住みやすくなるような努力をかなりしてくれてる、そしてみんな優しい)という事に気づくのです。
そして子育て面でもそう。
僕が選挙に出馬したときにポスターに掲げたテーマは
「子育ての理想郷として移住したくなる八女市に」

でした。あのときは本当に何も知らず、ノリで「こういうビジョンでやっていきたいよね」と語るような就職志望動機のようなものでしたが、こうして父親として、議員として活動する中で、改めて目を向けると、実際には本当にいろいろと充実していることを知ることができました。
福祉面は市としては真剣に取り組んでいると感じますし(高齢者寄りの政治になるとどうしても福祉に傾倒しがちになる傾向があるらしく他議員の方もそこはうるさく言いがちですし)、職員の皆さんも、それぞれの持ち場でしっかりと役割を果たしてくださっていると思います。もちろん、行政サービスが「かゆいところに手が届くか」という点では議論の余地がありますのでそこの声を届けるのは我々の仕事になります
例えば、今回上がった花下議員の一般質問にはこういうのがありました。
病児保育がしっかりとあるのは良いけれど、それは実際に必要な人に届いてるのか?登録は推奨されてるのか?ちゃんと使われてるのか?という問いがありました。
そして、もし送迎バスステーションが日中可動してないのであればそれをこちら側にて必要な所に対応できないか?
僕の方からも、実際に八女総合療育館を利用していて、結構キャパシティーがいっぱいだという声も聞きますし、父親参観してそれは強く感じています。
よく話に上がるのが「発達障害の子どもが昔より増えているのでは?」ということですが
確かに統計上でも、支援を受ける子の数は増加しているようです、これは単純に「障害そのものが増えている」というよりも、社会の理解や診断技術の進歩によって“見える化”されたことが大きいのではないかと感じています。
昔は「ちょっと変わった子」「落ち着きのない子」(僕のことです)と見過ごされたような子どもが、今では早期に気づかれ、医療機関や支援機関で適切な診断やサポートにつながるようになりました。つまり、「増えた」というより「見つけられるようになった」結果だとも言えます。
また、社会そのものが「みんなと同じように行動すること」を求めがちな傾向にある中で、少しでも違った行動が「特性」として注目されやすくなっている側面もあります。
もちろん、高齢出産の増加や、妊娠中・乳幼児期の環境要因など、現代的なライフスタイルが発達の在り方に影響を与えている可能性も指摘されていますが、それらの多くは確定ではありません。
いずれにしても、「困っている子が早く支援につながる社会」になってきたことは、間違いなく前向きな変化だと僕は思います。
また、妻や海外の方々からは、「国によっては、ダウン症の子と自閉症の子は別の支援施設に通うのが普通」という話も聞きます。特に欧米では、障害ごとに専門のプログラムが組まれていて、施設も分かれているケースが多いようです。
一方、日本では、ダウン症や自閉症をはじめとするさまざまな発達特性を持つ子どもたちが、同じ療育施設で支援を受けるのが一般的です。うちのように同じ施設でも、もちろん担当の先生や支援内容は個別に分かれているだろうけれど、外国人の目線から見ると、「それって一緒にして大丈夫なの?」と感じる人もいるようです。
どちらが正しいという話ではありませんが、障害の違いに応じた支援の在り方や、個別性への配慮については、今後の課題としても意識しておきたいなと感じました。

ちなみにですが、子育て環境に関して、黒木町だけで言えば、中心部に住んでいれば保育園から高校までが徒歩圏内にありますし、こういった児童発達支援施設まであるのです。
保育園もほぼ希望通りに入園できますし、町全体が緑に囲まれています。
山に囲まれてるので居住区が比較的密集している、欧米の田舎町のようにちょっとしたコンパクトシティっぽいところもあります。
ワーケーション施設もあり、温浴施設もあり(サウナ付きで300円)小さいけど図書館もある。スーパーもホームセンターもコンビニも郵便局もある。生活には全く事欠かない
遊具のある公園はかなり少ないですが広場がたくさんあり、治安も良好です。ミクロな視点で見れば、現時点で黒木町は「子育ての理想郷」と言っても過言ではありません。
(ただし、黒木町周辺だけに視点を置くのではなく、市議としてはもっと八女市全体を広く見渡す必要があります。あと現時点だけではなく未来を見る視点も必要だと自覚してます)

療育手帳を受け取る
さて、このたび、正式に公的な機関で診断を受け、龍之介は重度障害児として認定されました。本日障害者手帳を八女市よりいただきました。(療育手帳・A2判定をいただきました)。ASDというカテゴリーですがADHDも兼ねているだろう、、、との見解です。
僕としては「やはりそうか……」という感想でした。
妻は泣いていましたが、、、
発達検査の結果として、全体的に「実年齢3歳半ではあるけれど1歳程度の発達段階」とされ、障害のある子どもとして正式に認定された形です。
他の保育園の同い年の友達と比べたら、全然いう事聞かないし集団行動も出来ない、そしてまだ何もしゃべりません。
ある程度の覚悟はしていたものの、特に妻にとっては、頭ではわかっていても、いざ書類で「障害」という言葉を突きつけられると、心に大きく響いたようです。
僕自身はというと、「どうにかなるだろう」とどこかで楽観している部分があります。というのも、僕はこれまでの人生の中で、いろんな生き方をしている人たちを見てきました。
学校に行かなくても、自分の道を歩んでいる人。
話すのが苦手でも、アートや音楽で世界とつながっている社会不適合者。
ビットコインでアーリーリタイヤした発達障害の若者
体質的に学校に行くことが出来なかった、行くと嘔吐していたというトップクリエーター。
彼らが言うには一芸に秀でている人はだいたい頭おかしいし、そういう人は昔の社会よりも断然生きやすくなった「普通」に縛られない時代になりつつあることを感じていますので。
もちろんそれは強者・生存者バイアスで僕がそう見えてるだけの可能性も高いですし、実際には苦労してる人の方が圧倒的に多いだろうと察します、しかしながらそういう可能性をちゃんと僕が見ている以上はいいガイドとして存在していたい、きっと大丈夫と信じるしかない。
だからこそ、息子にも「彼なりの道」があると思っています。その道は、人と違うかもしれない、いばらの道かもしれませんが、それも決して悪いことばかりではありません。
そもそも、僕自身が時代によってはこの手帳を持っていた可能性があるくらい、“ちょっと変わった子”でした。 ADHDという診断名はなかったけれど、今振り返ると「そうだったのかもな」と思うことが山ほどあります。ちなみにここで僕の発達障害におわせエピソードをいうと
1、小学校3年生以下くらいの記憶がありません、これって普通だと思ってたんだけどどうやら違うらしいというのは大人になって知りました
2、高いところから飛び降りたりするのが好きだった、そこだけは特筆した才能
3、部落対抗のソフトボールクラブへの強制参加が嫌で嫌で仕方なかった、母からかってもらった新品のグローブを川へ投げ捨てて激しくビンタされた記憶がある
4、マラソンとかものすごく苦手だった、ペース配分がわからず学年で最下位だった
5、そもそもヨーイドンで反対方向に走り出すタイプだった
6、中学時代はある1教科を除き全部赤点だった(世界地理のみほぼ満点)
7、というかじっと座って一時間の授業についていって理解できたことがそもそもない
多分、、、父からの遺伝です。
ちなみにですが、その世界地理という好きな教科が旅人としての資質を開花させ、旅からいろいろと考えさせられ学ばせてもらった末に今があると思っています。
そもそも、その世界地理に興味を持ったのも自分の起源をたどればとあるスーパーファミコンのソフトがキッカケだったのもあるわけなので何が理由になるか本当にわからないこともあると思います。
「大丈夫、龍之介よりも父ちゃんの方がもっとポンコツだった(今でもそうや、だいぶヤバい!)、これは個性だ。きっと何とかなる」と信じていますし毎日龍之介に言い聞かせてますし、ということで僕自身はそこまで悔やんではいません。むしろ龍之介の世界一のよき理解者になれるのではないかと誇り高いくらいです。
しかしながら、特に心配はしてないけれど圧倒的に妻にかかっている負担への感謝の気持ちは忘れないようにしないとですね
最近では「ADHD」をカジュアルに使う場面も増えましたが、実際に重度の障害児と向き合う親の負担は、想像以上に大きいと感じています。保育園の先生方にも、日々特別な対応をお願いしてしまっていて、本当に感謝しています……。
療育手帳を受け取ることで、医療費や福祉サービスの助成、将来的な教育支援や相談体制など、受けられる支援もあります。移住定住関係のもともと受けていた補助金は議員になって辞退しましたが、こちらの支援は堂々と受けることにしました。
「障害」と名付けることは、時に悲しいことのように感じる人もいるだろうけれど同時にそれは「社会が配慮を約束する」という意味でもあります。
最後に。
障害があることは「終わり」ではない。おそらく僕と同じく普通にのレールで生きることは難しいかもしれない、なので、そこから「別の地図」を手にして歩き出す覚悟も必要なのだと思います。という事で、今後、可能であれば実体験も交えて同じように悩む人たちや、不安を抱える親御さんたちの力になれたらと思っています。
今日も、まだ喋らない龍之介はニコニコと、泣いたり、暴れまわったりしながら家じゅうに台風を巻き起こし、散らかしまわっています。はっきりいって自衛隊の鬼教官の台風よりも龍之介の台風の方がモノを破壊することに躊躇ない分恐ろしいです(自衛官しかわからないネタ)

天空の茶屋敷はかつての素朴な禅とお茶をまとった古き良き古民家といった風情はもうなくなってしまいました。今では障害のある子供とその国際家族が自然の中で肩の力をぬいて過ごせる、暮らしの実験場のような場所になってしまいました。
ライフステージの変化によってこれまでの形そのもの維持できなくなってきたけれど、それでも天空の茶屋敷は形を変えていきながらもなんとか続いております。
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#障碍者支援
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