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僕が独学で英語を学んだ方法

現在、山奥でゲストハウスを営んでいて、そのお客さんの半分は外国人、ヘルパーも基本的に外国人。そして今、婚約者も外国人。


なので僕は基本的に生活の半分は英語を喋っています。



さて、今回は僕がよく質問されること「どうやって英語勉強したの??」の答えをまとめてみました。




日本では「英語できます」は一つの特技にもなるので。

僕は時として地域のNPOや観光協会などから通訳として依頼されることもありますし。

時としてインバウンドのお茶ツアーなんかも企画して、広報、ガイドまですべて英語でこなしてもいます。

日々、訪問してくる外国人に日本の歴史や文化、そしてお茶のことを語ったりしています。


ちなみに天空の茶屋敷に集まる日本人の多くが英語、だけでなく数か国語行けたりする人が結構いるものだから感覚おかしくなってしまうけれど。

やっぱりここの感覚は普通じゃないようです。



よくここに来る外国人訪問者に言われるのが

『初めてここまで日本のことを詳しく教えてくれる人に出会った』

(僕の場合、たかがインターネットなどで勉強したくらいの広く浅い知識ですが、、、)


とか


『初めて普通な日本人に出会った』

(僕の感覚は良くも悪くも繊細な日本人独特の感覚からは大きくずれている変人と言われてるけれど、worldwideな人達の中ではわりかし普通な感覚だったりします)


『なぜ、、今まで日本中色々回ったけれど、ほとんど英語通じなかった国で、逆にこんな山奥に来たら英語喋れる人ばかりいるの???』

(天空の茶屋敷に集う人は海外渡り歩くようなエリートもいるし、意識高い大学生や海外フラフラしている社会のレールから脱線した人が特に多いから、俗に言う普通じゃない人ばかり集うから、英語喋れる日本人が多く集まります)


確かに、、、他のゲストハウスオーナーや民泊やってる人は基本的に英語のコミュニケーションは問題ないだろうけれど流暢に英語で深いところまで喋ってる人はほとんど見受けられないし、、、


ホスピタリティという概念を超えて、僕は基本的にお客さんを友達と思って接するスタイルなので、一緒に散歩したり、畑に行ったり、ゆっくりお茶したり、一緒に料理して夕食を食べたり、時には飲みながら夜中まで、たまには朝まで語り合ったりしている、、、(最近はやらない)


そこまでディープにコミュニケーションとっている人も少ないのかなと思います。


だいたい外国人とどんな会話をしているかというと、そのほとんどが

政治・経済・環境問題・日本の文化や歴史・相手の国のこと・国際的な問題・グローバルニュースなど


いずれにしてもなぜか日本人同士では話題のトピックにならないものばかりが外国人との会話の柱だったりします。


さて、その僕の英語力がいったいどの程度なのかを説明すると、、、、


自慢でも謙遜するわけでもなく、全然大したことないです。でも日本人では英語できる人の中でもかなり流暢なほうのようです。


僕はTOEICや英検などは受けたことない、というかそもそもそれができる英語学習者でもコミュニケーションが微妙な人はいっぱいいますのでその指標にはなりませんので、そもそも何をもって英語力あるというのか?というものを測るものがありません。

この人のほうが流暢とか、理解しているとか、きれいな言葉遣いとかは相対的には言えると思うけれど

それを示すものが人の感覚でしか言えないのでこればかりは何とも言えません。

なので僕の英語レベルを僕の主観による言葉で説明すると


・多国籍で非ネイティブの英語の会話の中(主にフランス人とかドイツ人とか韓国人あたり)に入ると標準的なレベル

・ネイティブ達の中に入ると、会話は全部着いていけるけれどどうしても聞き役になってしまう。

・ディズニー映画などは問題なく観れる

・フルハウスとかフレンズなど日常生活のドラマも問題ない

・大人向けの映画は着いてくのでやっとなので、理解するのに必死なのであまり楽しめない

・小説はかなり苦手, よほどシンプルで楽しいもの限定でOK

・公的な文章や難しい書類は辞書無しではかなり厳しい


くらいです。

さすがに長いこと(今も)世界中の旅人宿で多国籍の人とコミュニケーションしてたこともあって読み書きよりも会話の方に特化しています。

もちろんほとんど何も出来ない状態からここまで上達してるわけなので自分に自信は持っていますし、10年前に思ってたくらいの目標までに到達したし、英語自体を生活(仕事)の中に落とし込めているわけなので、これ以上の努力をすることは今のところなさそうです、でももし今後英語圏に住むことがある場合、今のままでは不十分すぎるとも理解しています。




【昔はどのくらい英語できなかったのか??】



そもそも、学校教育の英語教育はほとんど無意味とはよく言われていますが、僕はそれにおいてもものすごく落ちこぼれでした。


俗に言っていた不良だとか勉強を不真面目にやっていたわけではなく、僕の場合はちょっとした精神障害をもっているので得意な科目と苦手な科目の差が著しかったこともあり、通信簿も科目により1~5までバラエティにとんでいました。


世界地理は5

英語は1


といった感じで英語は最も苦手な科目。

高校のときはレベル別にクラスが分けられていたので英語は一番下のクラスでした。


高校を卒業したあとは進学をしなかったため英語との関わりは一切なくて。

田舎で産まれ育ったから、そして自衛隊という保守的な環境にいたため産まれてから初めて海外旅行にでるまで(23歳まで)ほとんど外国人と関わることもなく。

全く英語と関わることもなければ、必要だと思うことも、今の自分のライフスタイルを思い描くこともありませんでした。


そんな僕が初めて英語にふれたのは今から10年前、23歳の時に海外放浪を夢見るようになってから、書店で英語の本を買ってから。少しずつ英語を勉強していました。


それと同時に少しづつ海外一人旅をして(台湾とか香港)、海外の友達ができて、その人達と下手な英語でEmailでやりとりする楽しさを覚え始めました。


もちろん、自衛隊の身分でそんなことをするのはご法度、、、とまではいかないけれど部隊内のインターネットが許された場所にわざわざ行ってログインして、こそこそと外国人と文通していた僕はかなりの変わり者として見られていました。

集団主義な日本、その中でも超集団主義な自衛隊で変わり者扱いされることは結構致命的でしたが僕にとってはそれが何より楽しかったのです。



【実際に僕が独学で英語を学んだ方法】



1、世界一周序盤、ワーキングホリデーで完全英語環境


24歳、海外放浪への旅立ち。

ワーホリでカナダに到着したときは日本人のどこの誰よりも英語は出来なかったと記憶しています。


普通のワーホリの人たちなら語学学校に通ったりするけれど英語の全く出来ない状態で語学学校に入ると、一番下のレベルに入れられて、日本人の友達が沢山できるという悪循環に陥ってしまうため、それはお金がもったいなさすぎると思って入学しませんでした。そこから独学で勉強しようと決心しました。


どうやって勉強したかというと、、、


そのアイデアを得るのはそんなに難しいことではなくて、先人達の知恵を聞くことです。

その時もすでにインターネット上に効率のよい英語習得方法が沢山あったので、色んな人のブログを読みあさる。


つまりは、まずは英語の勉強の仕方を勉強しました。そこから自分にあった、楽しく長い目でみて続けれそうなやり方を自分の生活に取り入れるということです。


例えば好きな洋楽をカラオケで歌えるようになるために好きな歌をその歌手になりきって練習するとか、英語でワンピースやドラゴンボールなど英語に翻訳されてる好きなアニメを沢山観るなんてのは楽しく身に付くよい方法だと思います。英語耳と英語の発音を鍛えれます。


そして、どの先人も共通して言っているには、多くの日本人英語学習者は文法と読み書きばかり特化しているので、聞き取り、会話、発音のトレーニングが圧倒的に不足していることがわかってきます。


そして、色々考えた結果、環境を有効活用しようと考えて。


・ワーホリ当時1泊10ドルのバンクーバーのスラム街にあるボロ宿があったのでそこに住むことによりインターナショナルな環境を確保

・当時はスマホなんてなかったのでラジオ付きの携帯電話を購入し、24時間、寝てる間も現地のラジオをイヤホンで耳にあてておく(でもワーホリ時代の英語レベルでは何を言っているかほとんど分からなかった)

・まずは本屋で英語の文法の本を買ってそれで文法を勉強。

・バンクーバーにBook offがあったのでそこで日本語で書かれた英語教材、発音なども勉強する

・職場はカナダ人の中で皿洗い


こうやって、住む場所も職場も完全英語環境を作っていた期間は全部で6か月つづけたけれど、その中でも約3か月は完全に日本語を封印していた時期もありました。


・日本語を見ない読まない

・日本語がきこえたら速やかにイヤホンで英語を聞くようにするかその場から逃げる

・日本人に出会った時ですら「日本人ですが日本語をしゃべらない様にしています」と英語で話しかける。

・ストレス発散に聞く音楽は洋楽


日本人だらけのバンクーバーでは少し難しいチャレンジでしたがやりだしたらできます。

これによって、思考もすべて英語にしようと自分自身を洗脳してたこともあり、当時の低い英語レベルのボキャブラリーで物事を考えていたので面白いほど幼稚化、シンプル化していた時期もあったという面白いエピソードもあります。


それから、英語下手なくせに日本語を使わない日本人なんていうのはもちろん滑稽だから、日本人同士つるんでいるワーホリの人たちからは変なやつだと思われて相手にされないことも沢山あったけれど、逆にそれをクールだと言ってくれてそれを真似してきた友人達3人でコーヒーショップに行き、下手くそな英語で一晩中会話していたのは今となっては素敵な青春の1ページとして思い出に残っています。


生活環境は格安でインターナショナルな場所にいて、そして職場環境も完全英語環境だった。それは、そのあと世界一周の旅が控えていたこともあり倹約をする必要があったのでこういう生活をしていたけれど。


ワーホリでもしこういう環境をつくることができれば世界中に友達を作りながら、英語も修得しながら、カナダなら貯金も年間100万円ぐらい作ることも可能である。

ちなみに僕は後半の5か月はオーロラ観光の仕事をしていたので、ほとんど日本語環境でした。その事もあってかワーホリ一年では当初思ってたほど英語は上達しませんでした。


2、ヒッチハイクや人の家に泊まり歩く一人旅


25歳、ワーホリの一年が終わった後はヒッチハイクで大陸を横断しました。

またカウチサーフィンや道中にできた友達の家(友達の友達の家)に転がりこんだりしてました。


バンクーバーやイエローナイフのような留学生にとってのインフラのある都市や観光地とは全くちがう場所で、ここがどこかもよく分からない、情報収集も自分の足で稼いで聞いてどうにかするしかない。環境が目まぐるしく変わる、自分で英語を喋って何とかせざる負えない試練。


僕にとっては一年間で学んだ英語を使う実践の場所だったのでヒッチハイクの2か月のほうがワーホリ一年よりも向上したような気がします。まあでもそれは、ワーホリ一年の下積みがあったからなんだろうと理解しています。


3、世界一周の中盤、日本語のガイドブックで旅をしない


今はどうかわかりませんが、スマホが普及してなかった当時はバックパッカーの情報資料バイブルは地球の歩き方でした。ほとんどのバックパッカーがこれを攻略本として携帯してましたが、、、


僕の場合はロンリープラネットでした。


そうなると日本人のいくところの情報、日本人宿の情報などは全く分かりません。

そして西洋人達の旅人トレイルを巡ることになり、日本人とは出会えません、安宿で知り合った西洋人達と一緒に旅をしているだけで基本的に旅自体が英語環境になっていました。


ちなみにですが、僕がこのころ中南米にいたときはスペイン語も6週間勉強しましたが、ある程度の英語の下地が出来てる状態でありスペイン語は日本人にとって発音も聞き取りも苦労しないので英語の習熟よりもスペイン語の習熟はものすごく早かったです。

ほとんどこの時の低いレベルの英語と変わらないくらいのレベルでスペイン語もしゃべっていました。

それが仇となったのか、英語もスペイン語も似てる言語だから頭のなかゴチャゴチャになっていたいうエピソードもありました。


4、世界一周後半、英語修得期間は終わり、後はただ実践


日本を離れてから2年半が経過した頃、ヨーロッパにわたった頃でした。

すでにこのころになると英語のみで履歴書作っては企業とSkypeトークしたり面接も受けたりして、フィンランドで仕事探しもしていたというエピソードもあります。


旅行中では日本人とも沢山出会っていたけれど基本的に日本人の旅行者はどこでも言葉に困っていたのでそれを英語にて助ける立場になっていました。

『旅立った最初のころはどこの誰よりも英語できなくて逆に日本人に助けてられてばっかりだったんだよ』

なんていうと驚かれてました。


あと、最初の世界一周中は基本的にポケット英語翻訳辞書をいついかなるときもポケットに携帯し、分からないこと、疑問に思ったことは調べる、恥ずかしがらず、自分が英語出来ないということに引け目を感じず、会話の中でも堂々と翻訳機を使って、それで調べたことを着々と物にしていってました。


いつの間にか旅の最後の方はそれを開くことがなくなってました。というのは分からないことがあったら「それってどういう意味?」と聞くこともできるし「これってどういうんだったっけ?」と英語で聞いた方が早いので、、、


僕の中で、そのレベルにまで達するまでは旅中でもひたすらと英語の勉強を独学でやっていましたが、それ以降は勉強するといことはほとんどやっていません。

それ以降はただ英語を実践で使っているだけで上達していくからです。(今もです)

僕の場合はそれがだいたい日本を離れて2年半くらい、世界一周の終盤でヨーロッパに入ったときくらいでした。


なのでそれ以降は肌感覚では緩やかにしか伸びてはいません。



まとめ


僕にとって、世界一周の旅は夢を叶えた、見聞を広めた、世界中に友達出来た。という沢山の得たものがありますが。

実際に世界中で生きていくための最も基本的な実践的な能力である英語が身に付いたと言うのは実用的にはものすごくでかいです。

実際にこれによって今、事業が成り立っている訳でもあります。

特に僕の場合、倹約旅でもあったのでそれが更に英語だけでなく、度胸とか勢いとか対人力とか色んなものを向上させるキッカケにもなったんだなと思います。


本当によかった。


もしよかったら、僕みたいに全然英語ができない状態から、大人になってから英語を学ぼうと思っている人がいたら僕みたいな人も実際にいるよと教えてあげてほしいです。

僕のようなもともと非国際的で非エリートだった人間でも2年9ヶ月の海外放浪の中でそこまで行くことができました!


その後もコツコツと英語環境を続けることによって、こうやって山奥にいながらも超国際的な事業ができるようになりましたということをシェアして、その人達への励み、及び道しるべになれたら嬉しく思います。


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