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Netflixドラマ『お疲れ様(폭싹 속았수다)』を観て思ったこと

更新日:9月16日

こんにちは、天空の茶屋敷のお父さんのジローです


突然ですが、うちにはこれまで韓国の大物有名人が何人か来てくれた事があります。

韓国人のお客さんは全然来ないけれど、韓国の有名人は来るという不思議なことが起こってるのです。


そして、K-pop関係者のリピーターとしてちょくちょく来てくれる人がいて、IUという超有名人とは近い友人だそう。

彼は「絶対に天空の茶屋敷を気に入るからいつかIUを連れてきたい」と言ってくれています。妻もIUが好きだし、お茶をプレゼントに送ったら彼女からのCDと『いつか行ってみたいです』というような手紙が帰ってきたりもしました。

(本人の直筆かどうかは分からないがそう信じておこう)



有名歌手×俳優であるIUさん、今をときめく超有名人が来たらすごいことだ、、、昔来てくれたスーパージュニアのヒチョルさんが来た時よりも大事件になるでしょう

超忙しい人だろうからいつ来るかわからないけれど、本当に来るかもしれない。よし、その時のためにしっかり予習しとこう

僕も一度は彼女の出演作を観てみようと思い、『お疲れ様』を視聴してみました。



お疲れ様は1組のカップルの一生を描く物語

ストーリーは、1組の他愛のないカップルの一生涯を描いたものでした。一生涯寄り添い続けたカップルの物語『君に読む物語』や時代を追っていくスタイルの『フォレスト・ガンプ』を連想させるような、どこか既視感がありながらも、心が浄化されるようなドラマでした。

IUは『韓国芸能界の一般的な作られた美女』と違って素朴でとてもカワイイ、韓国の有名人が来たキッカケから僕もKpopやKドラマは見るようになったからちょっとわかるようになったけれど、個人的には韓国の有名人の中でも一番カワイイと思う。


韓国がまだ豊かではなかった時代のチェジュ島の暮らしが描かれてました。ここに登場する家族もかなりお金に苦労した様子が描かれていて、それはIU自身の生い立ちとも重なるのかもしれないけれど。貧しさの中にある他愛のない些細な幸せが、とても丁寧に表現されているという印象です。


続ける美学と、変わり続ける美学

このドラマには「同じ仕事を日々頑張り、同じ人たちと生き抜く美しさ」が込められています。正直、僕にはできそうにないと思いました。

僕自身は、

・常に自分の環境を変え続けてきた、来るもの拒まず去る者追わずなので、結局付き合う人も毎年のように変わってきた、それは新しいことにチャレンジして常に試練があることが快適になってしまっているからだと思う

・お金に困りたくないから、しっかり蓄えた上で好きなことにフルコミットする

・一度きりの人生をどうやったら面白く有意義に生きれるかを常に考えているので「時間の使い方」に意識的である


そういう生き方を選んできた。

それは「続ける美学」とは真逆に見えるけれど、根っこには同じ思いがある。「後悔のない人生を送りたい」 ということだと思います。



苦労の価値について

ドラマを観ながら「ハードモードの人生とイージーモードの人生、結局どちらが幸せなんだろう?」と考えました。お金に苦労し、それを乗り越える物語はやはり尊いし後から振り返ると感慨深いと思う、そういう意味では恵まれた環境に生まれてイージーモードになってしまうと、そういう乗り越えた感動を感じるチャンスも狭くなるわけで、必ずしも幸せかと言ったらそうでもないような気もする。


苦労した方がいい景色が見えるという僕自身の近い体験で言えば、徒歩や自転車で旅をした経験などから、苦労のある景色とバスや電車などの楽な移動で見る景色では価値が違うことを知っているから。苦労は物語を輝かせるのです。

北海道から九州の八女まで歩いたことあるけれど、あの時見た他愛のない路上での景色、八女まで自分の足で帰ってきた感動は凄まじかったのです、あれ以上の感動を味わえたのは約40年生きてきてそうそうありませんでした。


じゃあすべてを捨ててまた一人で言葉も通じないような海外のどっかに無一文で住んでしまえばいいじゃん、っていうのも考えるけれど、さすがにそこまでの苦労を意図的にやりたいというわけでもありません。人間誰しも「楽をしたい」気持ちもある。僕だってもちろんそう、ここが難しいところでもあるのです。


ちなみに妻のフィリピンの実家に行けば、今でも映画『3丁目の夕日』のような素朴で質素な古き良きコミュニティなどを観ることが出来ますが

日本の豪華な結婚式とフィリピンの質素で手作り感のある結婚式、僕は後者の方が好きですし、先進国と途上国をよく引き合いに出されるのが、物質的に貧しい途上国の方が人々が幸せそうに見えてしまうという事

では彼らは好んで貧乏になったのかと言えばそれもまた違います

そして同じフィリピン人でも裕福になってしまった人は同じような問題を感じていると言います。



僕の人生に欠けているもの

本当の苦労を知らないという意味ではちょっと恥ずかしい事でもあるけれど。

実を言うと、僕は本当の意味で「お金に苦労したこと」がありません。

18歳から親元を離れて経済的には独立してました、昔から超倹約家で、自衛隊時代には給料のほとんどを貯金し、24歳で900万円近く貯めていた。僕の周りには他にそんな人はいなかったと思います。


多分これは、自分がポンコツだという事を自覚してるからであり、僕のことを雇ってくれるところなんてここ以外にない、、、お金なくなったら野垂れ死んでしまうから、という防衛本能が強烈に刷り込まれていたからでもあり、散財することに恐怖を持っているという事もあると思います。結果倹約家になってしまったのです。

今思えばこの思考のクセによって得ている自由もあれば失ってるものもあるだろうと思いますので別にそれがいいとも思ってないし治したいとも思わないです、それが自分、それでいい、という事です。



もう一つは、お金で楽を買うようなことに慣れたくないという自分への戒めです

近い言葉で言えば『若いうちの苦労は買ってでもしろ』とか『舌を肥やすな、飯がまずくなるぞ』などかな。限度はあるけれど温室育ちではなくつらい思いした方が心身強くいられるし、満足できる基準点をかなり低くしておけば幸せを感じやすい、そして小さなことにこだわらない→自由が増える。

何故かこの哲学は昔から知っていました。


その性質がその後は開花し、誰も真似できないレベルの超節約旅行や、田舎移住して最初はお金を使わない暮らしを実現させようともしたりしてました(実際には月3万円の生活費くらいはかかってたけど)そんな生活を2年間やりました。でもそれは「極貧の疑似体験」であって、使わない貯金がバックアップとしてあったわけなので、本当の意味で「お金に困る苦労」ではなかったと思います。

そういう意味では一度きりの人生、喜怒哀楽を味わい尽くしているかと問われるとどうなんだろうかと自問自答してしまうこともありますが、でも実際に「お金に苦労する人生」は、現実の真っ只中にいる人にとっては美しいどころか、毎日がしんどいはずです。

  • 家賃や光熱費の不安

  • 食べるものが足りない不安

  • 人に借りをつくらないと回らない

  • 周囲からの視線や「自分はダメなんじゃないか」という自己否定

これは精神的にも肉体的にもすり減る体験で、決して「楽しい挑戦」どころではないでしょう。


僕は人に迷惑をかけるようなお金の使い方はしてこなかったし、借金に頼ったこともない。すべて自分の範囲でやりくりしてきたという点では、これは一つの“たくましさ”だったと思うし社会的にはそれが模範的でもあるのではないかとは思いますが。

しかしながら人に迷惑をかけたり、助けたり助けられたり、、、それこそが人間らしいドラマだとも思っておりますが、じゃあ自分はそうなりたいかって言われたら、素直にYesとは言えません、、、



それでも知っている豊かさ

ただ、僕にはこれまでの経験から確信があります。

屋根と安心して寝るところとメシさえあれば幸せに生きる最低条件はそろっているという事

そんなにお金を使わなくても楽しく生きられるということ。

みんなで500円ずつ出し合って作るご飯は、1万円のコース料理よりおいしく感じたりもする。(なお、それを体験しやすいのが、ゲストハウス文化の魅力だったりもします)


そして最低限の幸せになる要素はすべてそろっている、じゃあ後はどう生きるか

っていうのは常日頃から考えてる終わりのないテーマなのだけれど


不便や質素の中にある豊かさ。そして、自分の意志で「ワクワクする試練」に挑戦できる環境があること。チャレンジはスパイスとなりドーパミンだとかセロトニンとかオキシトシンなどの幸せ脳汁が強烈に分泌されます。

例えば、まず働くことが難しいという社会不適合な方は自分に合う環境を探すことにトライするのがそうだと思うし

日常に飽きてしまった人はマラソンや資格取得とかでもいいかもしれない

人によってはナンパとか楽器を始めてみるなどのちょっとしたトライでもいいと思う


僕もこれまで、一人旅でのあらゆる挑戦、事業、クラファン、出版、婚活、選挙出馬…。どれもまあまあなドラマでしんどかったけれど、それは後々になると人生の最高の喜怒哀楽のスパイスになった、そういったことに自分から挑戦できる環境があるということは、本当に恵まれていることだと思います。


『お疲れ様』を観て、改めてそんなことを思い出しました。






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👣 福岡県八女市の山奥にて、宿・お茶・言葉のある暮らしを続けています。


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