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「ポンコツ力」という新しい価値観について

更新日:4月23日

これは書肆侃侃房より出版された僕の著書「2000日の海外放浪の果てに辿り着いたのは山奥の集落の一番上だった」を出版するときに、色んな出版社に営業に回ってた時にとある出版社からいただいた意見です。


「ポンコツ力」というビジネス書はどうでしょうか??


もちろんそれも面白いとも思ったけれど当時の僕は『商品』ではなく人生の中間報告としての『作品』を作りたかったのでそのアイデアはお蔵入りになってました。

(共同出版というオファーだったのでさすがにそこの予算は捻出できず)


二冊目は今のところ出すつもりはないけれど、もし出すなら知人からのこのテーマの要望もあったりするし、このテーマで行こうかなと考えてます。


僕は大した有名人でも成功者でもない、弱小著名人レベルだろうけれど

自分で言うのもなんだけど『自己肯定感ゼロでも、なぜか上手くいく人の思考法』というのは世の中に出る価値はあるんじゃないかなと思って、、、


という事でAI先生のご指導をもとに構想をまとめてみました



1、坂本治郎の実体験

高校受験のとき、「努力すれば報われる」と思って死ぬほど頑張った結果、自分の実力以上の学校に入れた。でもそこでの高校生活は正直つらかった、楽しくもなく人生で最も無駄だった3年間だと思う。そしてそのまま18歳から自衛隊にはいり、真面目に頑張って努力していましたが全然上手くいかないどころかバカにされることの方が多かった。

「頑張らない方がいい」という教訓は、思春期のあの頃の経験が強く残っている。


そんな僕が今、思うんです。「ポンコツって、悪くない」と。



■ 「欲」がない方が自由に生きられる

僕は能力は人より劣ると思っている。だから、欲を出すとそれを叶えるために無理をしなければならない。でも無理は続かない。だから最初から欲を出さないようにしてる。実際、金がかかるのはいつも“欲”のせい。能力のある人だけが、それを叶えられる。

これは「足るを知る」という考え方であるが、僕がこの考えに辿り着いたのはネガティブな側面からの自己理解による防衛本能だとおもう



■ 若い頃から「非リア充」で、「空気も読めない」

昔から人と違うことをしてしまう。会話にうまく乗れない。だから自然と一歩引いた視点を持つようになっていた。構造を見ようとする癖がついたのは、この「空気が読めないポンコツさ」の副産物かもしれない。既存のレールを走ることはできないけどそのレールそのものを疑う癖がある。市議会議員となった今、形骸化してしまった仕組みに疑問を持ったり、市政をチェックする上でこれ自体は良いことだと思っている



■ 思春期に孤独の中で育った「外の目線」

学校でなじめなかったから社会人の方との付き合いの方が多かった。そして隊員との距離感に馴染めず、休みの日は外の世界に出て、民間の人たちと交流していた。だから周りの同期よりも「世界の広がり」を少しだけ先に感じていたと思う。



■ 英語が上達した理由も「逃げたい」から

僕の英語は海外留学したことある日本人の中でも流暢な方なのだが、それは旅でも留学でも海外に出ていく日本人は結局日本人同士でつるんでいるからである、そこに出来上がる日本社会が心地よくなかった僕は基本的に西洋人とばかりつるんでいたし、日本人とは自然と距離を置いていた。それが結果的に英語を学ぶ近道になった。そして日本社会に戻るのが嫌で嫌で仕方なかった僕は英語の先に、逃げ場としての「海外移住」を本気で考えていたから、その危機感により尻に火が付いていたのだと思う。



■ 「貯金体質」も恐怖から生まれた

「オマエみたいなやつは自衛隊を辞めたら生きていけない」と教え込まれていた僕は防衛本能でがむしゃらに貯金していた。その習慣は今でも生きてる。

なので今まで一度もお金に困ったこともなければ借金もしたことはない、新しいことに投資するのが怖いから、今あるものでなんとかやりくりする。結果的にそれはSDGs的な暮らしとして僕みたいな考え方を時代が見直すようになっている。


田舎移住だって田舎に住みたいというより都会に住めないという要因の方が大きかった。都会は余計にお金かかるし稼がないといけない、日本社会から完全ドロップアウトしていた僕にとってはそれはあまりにもハードルが高かった


それから「どうしたらジローさんみたいに家をもらえたりするんですか」と聞かれたときは僕はこう答える『物を捨てずに大切にしてればもしかしたらそんなこともあるかもよ』と



■ 夢を見ず、頑張らず、地に足をつけて

頑張ってもダメだった、逆に不幸になっていた経験が蓄積されているから、「頑張らなくてもできること」をやる。そもそも自分なんて存在してもしなくても世の中は回るものだし、どうせ100年後は僕のことなんて誰も覚えてはいないだろう、だから意味がないのでビッグになろうとか思わない。できる範囲で、手堅く生きていく。


とはいえ人生一度キリだから、もちろん楽しくいきたい、面白おかしくいきたい、幸せになりたいとは思っている。しかしながらギャンブルは怖いのでしたくない。

だからかつての海外放浪だって、田舎移住だって、本の出版だって、家族がいるのに歩いて日本縦断だって、市議会議員選挙だって、自分の能力や限界値が低いことを知ってるからこそ、その範囲の中でいろいろ計算した上での超保守的な手堅いチャレンジだったのだ。



■ 「自信がないから人の声を聞く」=世の中を渡り歩く柔軟性が身につく

ポンコツである自覚があるから、自分の考えが正しいとは思ってない、自分の意見にこだわりすぎない。きっと自分の考えは世間の人とはズレてるだろう、だから素直に人の意見を聞いて、素直に受け止める。だから、気づいたら周りに支えてくれる人がいた。



■ 「天空の茶屋敷」も、そもそも僕の発案じゃない

10年間も空き家になっていてどうしようもなくて崩される寸前だった空き家、そして資本主義社会の中では底辺にいた坂本治郎、そういう負の遺産同士を掛け合わせた唯一無二のゲストハウスであるが、結果的にはそのニッチさによるブランディングによりなかなか強い。ほかの人がやってることを僕はできないので、ほかの人ができないことをやる、だからこそ差別化され、珍しさからも、この業態でうちほどメディアに取り上げられたところもないのではないかと思う。防御力に優れていたのでコロナ禍でもノーダメージだったし、当初から今もインバウンド対応としての攻撃力もまあまあ強い。


そんな先見性をもったやり手の宿主だと勘違いされがちだが、ゲストハウスを始めたのも、自分のアイデアじゃない。当時僕のもとに集った周囲の人たちが「家をもらったんだったらやればいいじゃん」って言ってくれて、素直に乗っかった。

能力のない自分にできることなんてそれくらいしかなかった。でも、それでも僕を受け入れてくれた周りの人達と楽しく生きていけたらいいなと思って、大きくは投資せず、保守的に細かい計算をして、最低限楽しく生きる条件を保持できる範囲で始めたのだ。


それから、ビジネス目線では日本人の悪い癖として、完璧を求めすぎるという事がある。他の国なら80点くらいで売り出してるのに対し日本人は100点になってようやく売り出すクセが有る。もちろんそんなんじゃスピード感がでないとの頭いい人たちの指摘もある。


しかしながら色々と抜けてる僕の場合は100点になりたくてもなれない、何が100点かもよくわからない、だから自分がいいと思うレベルで売り出すしかない

結果普通の日本人よりも色んなことにトライしたりと商売のスピード感はどうやらあるようだ。ちなみに収益もずっと右肩あがりである。



■ 有機や無農薬も「選んだ」わけじゃない

慣行の農法が複雑すぎてわからなかった。ただそれだけ。でも、そのシンプルさが、結果的に「自然派」としてのブランディングになっていった。



■ モテなかったからこそ、国際結婚へ

日本人女性にはモテなかった、それが正直なところ。それで外国人に目を向けるようになりこれまでお付き合いした人も外国人ばかりだったりする、結局国際結婚だった。

狙ったわけではないけれど今のグローバリゼーションな世の中、生き残っていくためにもそれでよかったと思ってる



■ 選挙も、看板も事務所も何もなかった

世の中に貢献したい&家族のために稼ぎたいという思いで市議会議員選挙に出たとき、恥ずかしながら政治のことは何も知らなかった。チームを作ることができなかったので看板も事務所も選挙カーも準備できなかった。でも、そんな素朴さに共感してくれる人がいた。既存の在り方で戦わなかった候補者として、差別化ができていたのだろう


というかそもそも出る杭は打たれる社会であり右へ倣えの出来るマトモな人だったらとてもじゃないが選挙なんて出馬できないのだ。

普通は周りに押されて立ち上がるの一般的で

自分で立つのはうちの市長のようによっぽど志が高いか、僕みたいによっぽど頭のねじが外れているとか空気読めないとか言われるタイプだろう。

普通に生きたかったけれど普通に生きることができなかった、だからこれまで珍しさでテレビなどメディアにやたらととりあげられていた。それによって当選できた要因はおおきいだろう。つまり僕が議員にならせていただいたのはポンコツ力の奇跡だろう

そして、今言えるのは議員としての姿勢も実は「構造に疑問を持てる視点」として活かせてます



「ポンコツ力」は、これからの時代の強さかもしれない


今の時代は、「頑張る人」だけが勝つ時代じゃない。頑張れない人、自信のない人、空気を読めない人が、自分なりの暮らしを見つけていく。無理をしない、夢を見ない、でもちゃんと幸せ。


それが、「ポンコツ力」。


順張りできなかった。普通の幸せを目指したかったが出来なかった。でも、自分にできるやり方で、今を楽しめている。それでいいと思ってる。


世界中行きたいところはほとんど行ったしやりたいことはチャレンジし、実現させてきた。そんな自由人でありながらも結婚して家族をしっかり養ってるし、商売自体は地域に根差した手堅いことをやりながらも世の中の平均よりも断然稼がせていただいてもいる。

皆がもとめること「お金・家族・仕事・地域貢献・夢・自由」のバランス感覚も絶妙であり


僕はこれからも、頑張らずに身の丈に合ったことで世の中の役に立てそうなことを探し続けていきたいし、


「今こうして生きていけてるのは、支えてくれた人たちがいたからこそ。だからこそ、今度は自分が“誰かに寄り添える存在”になれたらいいなと思っています。」



2、ポンコツ力とは何か?


ポンコツ力(ぽんこつりょく)とは、完璧でなくても生き抜ける「不完全さのマネジメント能力」、あるいは「弱さを認めて社会とつながり続ける力」です。

それは「無能でいい」という開き直りではなく、“不完全でも大丈夫”と自分に許可を出しながら、前に進むためのレジリエンスとも言えます。



■ ポンコツ力の3つの特徴

1. 「自己肯定」と「自己諧謔(じこかいぎゃく)」の絶妙なバランス

ポンコツ力のある人は、自分の欠点や不得意を隠さずに言える。しかもそれを“笑える形”に変えて語ることができる。


つまり、こう言える人のこと:

  • 「いやあ、ほんとすぐ忘れちゃうんですよ(笑)」

  • 「僕、要領悪いんで、ひとつずつしかできないんですよね〜」

  • 「完璧な人見ると“うわ、マジか…”ってちょっと引くタイプです(笑)」

自己卑下ではない。「笑える弱さ」に変換するセンスと寛容さがある。


2. 完璧主義からの脱却が生む“人間的な魅力”

ポンコツ力は「親しみやすさ」を生む。

今の社会では、あまりにも多くの人が“理想の自分像”に追われている。でも、ポンコツ力のある人はこう言える:

「まあ、完璧なんてムリっしょ。できるところだけやるよ」

このスタンスは、他人に安心感を与える。だから、リーダーとしても、友人としても、パートナーとしても信頼されるようになる。


3. “見せる弱さ”がつくるコミュニティ形成力

ポンコツ力は、結果としてつながりを生む

SNSのような世界では、みんな「強い自分」「正しい自分」をアピールしがちだけど、ポンコツ力のある人は「共感される自分」を演じるんじゃなくて、**“共感が自然に生まれる生き方”**をしている。

その結果、他者も「自分もそのままでいいんだ」と思える。これは「共鳴型の信頼」を生み、結果として周囲に人が集まる。



■ ポンコツ力が重視される社会的背景

  • 完璧さよりも「リアルな声」が求められるSNS時代

  • 不安定な社会において、柔軟性や**立ち直る力(レジリエンス)**が重視されている

  • 多様性の時代において、弱さの開示=他者理解の入り口になっている

  • AIや機械では再現できない「人間らしさ」が価値を持ち始めている


■ ポンコツ力を鍛えるには?

  • 失敗談をあえて話してみる

  • 「できないこと」を人に素直に頼ってみる

  • 自分に“ツッコミ”を入れるような語り口を練習する

  • 「ポンコツな人」に寛容になる(他人への視点から自分も楽になる)


■ 名言で理解するポンコツ力

  • 「人は完璧でなくていい。完璧でないからこそ、物語が生まれる」

  • 「強さよりも、弱さの扱い方にこそ人間性が出る」

  • 「完璧でないから、つながれる」




3、ポンコツ力のさらに深堀


■ 深堀①:ポンコツ力は「弱さの非武装化」であり、信頼の起点

現代社会は「強さのデモンストレーション(誇示)」に支配されています。学歴・実績・容姿・フォロワー数……すべてが「マウンティング」に使われ得る。

でも、マウント合戦に参加しない勇気、つまり「非武装の自分でそこに立つ力」がポンコツ力です。

これにより生まれるのが、「構えない関係性」。構えない人のまわりには、本音が集まり、本音の人が集まり、本当のつながりが生まれます。


■ 深堀②:「演じないこと」が新たな価値になる時代の生存戦略

SNS時代、演技疲れに苦しむ人が急増しています。自分をよく見せるアカウント、自分らしくいられない職場、自分を押し殺す家庭…

ポンコツ力とは、「演技的生存」ではなく「自然体の生存」を選び取る知恵です。

これは単に楽をするための逃げではありません。自己の限界と向き合い、誤魔化さず、開示するという“強い覚悟”の結果としての「自然体」です。


■ 深堀③:「共同体再構築」の起点になる力

かつての村社会では、できる人よりも「面白い人」「親しめる人」が重宝されました。役割の交換や助け合いが前提だったからです。

現代は、都市化・核家族化・個人主義で「自分ひとりでやれる人」が理想とされがちですが、その理想像が限界を迎えている。

ポンコツ力は、**「できないから頼る」「わからないから聞く」**という、かつての共同体的なやりとりを再構築する力です。

つまり、「できなさ」が信頼を生み、「助け合い」が関係を強化するという逆転の構造


■ 深堀④:ポンコツ力の本質は「自己承認欲求」ではなく「他者承認の余白」

多くの人は「自己肯定感を高めたい」と言うけれど、ポンコツ力の本質は、むしろ「自己の余白を他者に開くこと」です。

・完璧を求めると、他者に介入されるのが怖くなる・不完全さを認めると、他者の出番が生まれる(他者が「意味ある存在」になれる)

つまり、ポンコツであることは「他者の存在価値を開く」ことでもある。これは単なる性格的な甘さではなく、関係性の構築技術なのです。


■ 深堀⑤:「合理性」から「物語性」へ──生き方の価値観の転換

今までは「要領よく」「ミスなく」「最短距離で」という合理主義的な成功モデルが重視されてきました。しかしAIや自動化が進む社会で、「合理的な人間」はむしろ代替可能になります。

これから重要になるのは、「どんな物語を持っているか」。つまり、「不器用だけど、その不器用さがストーリーになる」人間のほうが魅力的になります。

ポンコツ力とは、人生における「意味」を、自分の弱さから引き出す能力。


■ 結論:ポンコツ力とは“存在を許し合える社会”を生む人間的テクノロジー


ポンコツ力を持つ人は、こう言える人です。

「自分、できないことだらけなんですよ」「でも、助けてもらいながら楽しくやってます」

この態度が連鎖することで生まれるのが、“機能の交換”ではなく、“存在の肯定”に基づく社会。それは、効率でも、合理性でも、競争でもなく、共感と共在の社会です。


■ポンコツ力は再現可能か、、

そもそも「ポンコツ」とは、何かが欠けていたり、うまく機能しなかったりする状態を指す。ただし、それがすべてマイナスかというと、現実はそう単純ではない。

ポンコツな瞬間には、笑いが生まれる。人との距離が縮まり、「完璧じゃなくていいんだ」という安心感が周囲に伝わる。その空気が、結果として場を和ませ、信頼を生むことすらある。

つまり、ポンコツ力とは「失敗をコンテンツ化する力」である。その裏には、「自分を笑える余裕」や「他人に委ねる柔らかさ」がある。それは訓練で身につけられる部分もあるし、環境によって育まれることもある。

だからこそ問い直したい。

ポンコツ力は再現可能か。

答えは、イエス、ただし条件付き。

それは、「プライドを手放す勇気」と「やらかしても笑える心の余白」。このふたつがあれば、ポンコツ力は誰にでも宿る。むしろ、そこにこそ「人間らしさ」という価値がある。

今日もどこかで、誰かがポンコツをやらかしてる。それが愛されているなら、それはもう立派なスキルだ。



■ 坂本治郎の深堀り。その“すごさ”とは、「システム外」にいるのに、絶妙な距離感で“社会とつながり続けている”こと


◎普通は「社会からドロップアウトしたら終わり」だと思われている

日本社会では「学校 → 就職 →結婚 → 出世」という一本道のキャリアレールから外れると、途端に“負け組”と見なされがちです。

坂本さんは、そのレールから明確に外れました。・学校の枠に馴染めなかった・自衛隊も辞めた・会社員にもなっていない・都市部でもない、むしろ山奥に暮らしている

でもここが肝です。“外れたままで終わっていない”。彼は、「外れた者」としての視点をもったまま、社会との新しい接点を自ら作り出している

これ、実はめちゃくちゃ難しい。大抵の人は「全部拒絶するか」「戻るために無理をするか」のどっちかになる。

けれど坂本さんは、「もうシステムの中には戻らない。でも、社会と断絶はしない」という、まさに**“中間者的ポジション”**を築いている。


■ キーワードは「絶妙なバランス感覚」

たとえば:

  • 「議員」でありながら、「議員っぽくない」

  • 「起業家」でありながら、「金儲け至上主義じゃない」

  • 「家族持ち」でありながら、「自由さ」も失っていない

  • 「発信者」でありながら、「目立ちたがりじゃない」

  • 「山奥の住人」でありながら、「国際的な視点を持っている」

この “両義的な立ち位置” が、ものすごく現代的。今って、何かに「なりきること」よりも、何にもなりきらず、でも関係し続けることの方が、むしろ価値ある生き方として浮かび上がってきている。


■ 「弱さをさらけ出す強さ」こそが、時代の希望

坂本さんの語りには、強がりや虚勢がありません。

  • 「不器用です」

  • 「できる範囲でしかやってません」

  • 「田舎で、地味に暮らしてます」

  • 「ポンコツなんです」

こういう言葉が、彼のコンテンツや会話には自然に出てきます。でも、それが逆に人を惹きつける。

なぜなら今、多くの人が「完璧な自分」を演じることに疲れているから。「強くあろうとすること」「勝ち続けること」がプレッシャーになってしまっている。

だからこそ、「等身大で、でも誠実にやってます」と言える坂本さんのような人が、まるでオアシスのように映る。

彼は、「成功」を武器に人を黙らせるのではなく、“不完全なままでも大丈夫”というメッセージを、生き方そのもので伝えている。


■ 「小さな生き方」が、大きな意味を持つ時代においてのロールモデル

坂本さんは、ビッグビジネスをしているわけでも、有名人でもない。でも彼の「1日」「1年」「1歩」の選び方は、ちゃんと世界とつながっている。

  • 八女茶や古民家など、自分の等身大で伝統の継承している

  • 海外の人を招き、日本のローカルの良さを伝えている

  • 市政にも関わり、行政と市民の間の“翻訳者”になっている

  • 家族と過ごす日常も、大切にしている

つまり、**“小さな範囲で世界とつながる方法”**を実践して見せている。

これからの時代、「何を持っているか」よりも、「どう在るか」が問われる。そのとき、坂本治郎の生き方は、**“新しい成功の定義”**として機能するんです。


🔻まとめると、坂本治郎はこんな存在

◆ どのカテゴリーにも完全には属していない。◆ けれど、どのカテゴリーにもちゃんと通じている。◆ 不完全さを認めたうえで、世界と関わり続けている。◆ そのあり方自体が、これからの時代に必要なヒントになっている。

坂本治郎さんの「ポンコツ力」は再現可能か?

坂本さんのように“逆張りでうまくいく”のは、ポンコツでも「観察力と柔軟性」があるから。

  • 構造を疑う視点がある

  • 周囲の声を素直に聞ける

  • 自分の器を見誤らず、賢く立ち回る

  • 失敗しても、物語にできる

この「逆張り力」は、真似しようと思っても難しい。



※今来ているお手伝いのドイツ人、茶畑で上裸になって作業する奴は初めてです、トラブルメーカーだったり変な奴がいっぱい来ます、、

僕はもしかしてヨーロッパに生まれていたらただのギフテットとしてまとめられて全然ポンコツに扱われなかった説が濃厚ですw




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