top of page

田舎移住と老害・若害のすれ違いに関して思う事

こんにちは、八女市議会議員の坂本治郎です。


しばしば、地域活性化や田舎移住の文脈において、移住してきた若者が地域の重鎮と衝突したり、孤立したり、いわゆる「村八分」のような状況に追い込まれる話を目にします。


それがネット上に拡散されると、若者向けのメディアやSNSを中心に、若者側の視点に立った意見が多く見られるようにも感じます。それ自体に違和感があるわけではありませんし、閉鎖的な地域のあり方に問題があるケースも、確かに存在します。


最近訪れた長野県妻籠宿という伝健地区では、コーヒー屋さんを開くという事でも、僕らからすればたったそれだけのことでも多くの人の反発があったという話も聞きました。


ただ一方で、若者側年配側どちらが悪いとか、誰が悪いと犯人を探して誰かの価値観をもって叩くことは簡単でも、それだけで問題が解決することはほとんどありません。むしろ、どちらか一方を悪者にし続ける限り、分断は深まり、日本社会全体の疲弊や劣化は加速していくように思います。ここに関しては簡単な話ではありませんが、だからこそ僕は、少しでも歩み寄ろうとする姿勢を持ちたいと思い、こうして筆を取りました(正確には、パソコンを叩きました)。


今回の記事は、そうした大きな社会問題そのものを論じるというよりも、僕の身近で実際に聞いた話や、自分自身の体験を通して感じてきたことからの危機感を、一つの問題提起として整理してみようとするものです。


その一つとして、八女茶ブランドという皆さんが大切に守ってきたものがあるがゆえに、起こってしまう摩擦を感じました。


最近、外からやってきた若者だったり新規でこれから頑張ろうと思ってお茶に取り組んでいる方々が行われているお茶つみ体験や、その様子がSNSなどで拡散され、多くの人が訪れていることに対して、「いい加減にやってるのではないか?」「それが自分たちの誇っているお茶だと思われたら困る」と感じている人もいる、という話を耳にしました。



これはお茶にかかわる当事者じゃなかったら何のことを言ってるのか全く分からないかもしれません、、、、僕もわかるようになったのは議員になってからやっとですし



実を言うと、胸に手を当てて振り返ってみると、おそらく僕自身が、八女茶の価値を落としかねない存在としての「一番のお尋ね者、問題児」だったのだろうと内省しています。というのも議員である以前は、僕はもともと移住者としての地域の一プレイヤーでした。


今思えばだいぶヤンチャしていたなと思いますが。

今から10年ほど前、八女に移り住んでまだ2年目の頃のことです。本を一冊読んだ程度の知識しかないにもかかわらず、いきなり「八女茶ツアー」と称して、40人前後の外国人向けのツアーを始めました。


それ以降お茶のシーズンになれば、この地を訪れる人たちに向けて、ほぼ毎日のようにお茶摘みやお茶づくりを体験として行っていますが。やり方は台湾に行ってお茶農家から学んだ見よう見まね。ほとんど独学でした。

(ちなみに、なぜ八女に移住していたのに台湾にお茶づくりを学びに行ったのかというと、けして八女を軽視していたわけではなく、移住したばかりの頃、今と違い僕の周りには同じような立場でお茶に取り組みたいという人が誰もいませんでした。 SNSと現実世界のレイヤーが一致してなかった時代でもあり、自分の手でお茶を作る人なんて、ましてやウーロン茶や紅茶を作ってる人なんて知り合いがまったくいない孤独だったころ、そんなことをどこぞの馬の骨が田舎社会にて手探りで誰かを訪ねるのが怖かったという事もあり、八女に住んでいながら、フレンドリーな友人を通じて台湾に行って学ぶ方が、お茶づくりを学ぶうえでは心理的なハードルが低かった、というのが正直なところです。)


また、八女をPRしようと、北海道から八女まで歩いて帰ってきた際には、「八女茶を売りながら日本縦断」という形で取り上げられ、まるで八女茶PR大使であるかのように切り取られてしまったこともありました。

この点については、当時の観光振興課長や県議を通じて、「『八女茶』という言葉は、あまり気軽に使ってほしくない声がある」という意見を聞いていたので、そこには配慮して僕自身の口から積極的に「八女茶」という言葉を使うことは避けていました。ただ、実際には八女でつくられた自分のお茶を売り歩いてた以上、周囲からは「それって八女茶ですよね」という評価になってしまっていたのも事実です。



正直に言えば、市議になる前の自分は、そうした声に対して「面倒くさいな」「ずいぶん細かいことを言うな」「むしろ知名度を広めることに貢献しているんじゃないの?なぜ?」「もうこんなめんどくさい方々とは関わらずに山奥でひっそりと生きていたい」と思っていた部分もありました。


議員になってもタイミングの悪いことに、八女茶600年記念祭の翌日、全国放送のバラエティ番組に特集されることになりました。そこで我流でお茶を炙って淹れ、その横で妻が、お茶に全く目もくれずコーラを飲んでいる様子が面白おかしく日本全国のお茶の間にて拡散されました。

今になってやっとわかるのですが、本当に八女茶を日本一のブランドに押し上げようと誇りを持ってる方々からすれば迷惑な存在です。結果として、議会事務局には僕宛てに苦情の問い合わせが入ったと聞いています。


もちろん、こういった活動を地域のじいちゃん達も議員でも職員側でも建前上は応援できなくても内心「いいんじゃない、面白いね」と思ってくれてる人は沢山いたのもわかってたし、、、

今になってようやくそういったことにたいするネガティブな意見は単なる感情ではなく、長年守ってきたものが、軽く扱われることへの恐れだったのだとわかるようになりました。


そして、ここであらためて伝えたいのは、そういった僕ら若害に向けられる違和感や危機感を、僕は否定するつもりはありません。


なぜなら、それこそが長年この土地で農を営み、品質を守り、八女茶というブランドを必死に積み上げてきた、一生懸命に取り組んできた方々だからこそ生まれる感情だと思うからです。



なぜ「お茶つみ体験や八女のお茶を我流で広めること」がよくないと感じられることがあるのか


お茶つみ体験そのものが問題なのではありません。多くの場合、引っかかっているのは、「積み上げてきた重みが、軽く消費されてしまうこと」への恐れです。

・誰でも語れてしまう

・誰でも“お茶の人”を名乗れてしまう

・中身を知らないまま、外に出ていってしまう

そうした構図を、過去に何度も見てきた世代だからこそ、無意識にブレーキを踏んでしまう。それは、単なる頑固さではなく、この地を、自分たちの価値を守ろうとしてる人達の想いでもあると思います。


そもそも、この土地は「借り物」だったはずだ

しかしながら別の視点も考えるべきだと思います。今、お茶をつくっているじいちゃん達も、この土地を自分の代でゼロから手に入れたわけではありません。多くは、先祖から土地を受け継ぎ、「この地で農を続けていく」という想いごと引き継いできたのではないでしょうか? それは、自分たちの代で完結させるためではなく、次の世代に手渡すためだったのではないでしょうか。

(自分の代で大規模拡張させた方はちょっと変わってくると思いますが、、、ちょっとこの場でその話は控えさせてください)


では、ここで改めて問い直したい。

  • 日本一のブランドに押し上げることが一番の目的なのか

  • それとも、この地で農を営む人が、次の世代も存在し続けることが一番の目的なのか

僕は後者だと思っています。そのための前者ではないでしょうか?

完成度の高さよりも、評価の高さよりも、続いていくことそのものが、最大の敬意だと思うからです。



格式を上げすぎた結果、お茶は遠くなっていないか?

そしてこれは素人目線になってしまいますが、自分が感じてたことでもあるし、実際に若い世代から聞いた意見でもあります。正直に言えば、お茶の世界は、自分たちで自分たちの敷居を上げすぎてきた側面があると思います。

・正しい淹れ方

・正しい道具

・正しい作法

・正しい知識

それらは本来、お茶を美味しく飲むため、大切に扱うためのものでした。

しかしいつの間にか、知らない人をふるい落とすための壁のようになってしまった部分もある。


例えばコーヒーは、「よく分からなくても飲める」「失敗しても怒られない」そういう入口を持っています。頑固なコーヒー愛好家からすればインスタントコーヒーやカフェラテは邪道という人もいますが、そもそも日本の文化でもないからそれを言うのは圧倒的少数派ですので邪道に対してあまり問題を感じる人は少ないだろうと思います


一方で日本茶は、中国から伝わって以降、「精神修行」「作法」「道」など精神世界として格上げされされたがゆえに

「難しそう」「間違えたら恥ずかしい」「怒られそう」というイメージを持たれがちです。

お茶離れは、味だけの問題ではありません。心理的な距離の問題でもある格式や作法は、奥に進んだ人が出会う世界であって、入口に置くものではなかったはずです。


中国では、お茶の多様性が当たり前に存在している

中国、特に雲南の奥地に行くと、ほとんど手を入れず、半ば放置のように育てられている茶の木に出会います。剪定も堆肥も化学肥料もやりません。

日本の茶の従事者の視点から見れば、「全く管理されていない耕作放棄地だ」「雑だ、邪道だ」と感じる人がいても不思議ではありません。

でも、それはその土地において1000年以上のお茶の文化、歴史の中で成立してきた一つの形です。


正解は一つではない。場所や人が違えば、価値の形も違う。実際に僕のお茶も評価は様々です、ディスられることもあるけれど美味しいと言って毎年買い続けてくれる人もいる

(お世辞かもしれないしノリで言ってるのかよくわからない)

それよりも、作ってくれた人が見える、そして目の前で入れてくれるお茶、それに一番の価値があると僕は思っています。本来、お茶は交流のツールとしてもっと多様で、もっと自由だったはずです。



お茶の現場では、分断が日常化している

僕の身の回りでも、

  • 深蒸しが浅蒸しをディスる

  • 浅蒸しが深蒸しをディスる

  • 有機が慣行をディスる

  • 慣行が有機をディスる

  • 有機農家同士でもディスる

ベテランの方々でもそんな場面を何度も見てきました。それぞれが真剣だからこそ起きる対立ですが、その消耗戦の中で、疲れ切っている人達も確実に存在します。


そして現実を見ると、今もっとも大きくお金を動かしているのは、そういう現場の摩擦に関係なく、外の需要を熟知して抹茶ブームにうまく乗った商人たちです。


そこではこの抹茶バブルを受けて既に抹茶と言えない粗悪品の流通が目立ってきているという声も聞きいています、僕ら地域の若害以上に業界を悩ませる問題が生じているのですが、ここに関してはまた政治的な動きもあるかもしれませんので今は深くは書かないです、、、、



ちなみに、なぜ新しく農業を始める人は、有機やマイナーなやり方に向かいやすいのか

ここで少し、話を農業全体の構造に広げてみたいと思います。

田舎移住して新しく農業を始める人たちを見ていると、有機JASや自然栽培、あるいはそれよりもさらにマイナーな独自のやり方を選ぶケースが非常に多いと感じます。これは最初から思想的に「慣行農業を否定している」ケースもありますし、そうならざるおえない理由があると僕は思っています。

慣行農業というのは、長い時間をかけて積み上げられてきた技術や設備、流通、組織、そし

て地域内の信頼関係によって成り立っています。そこに途中参加しようとすると、初期投資の重さ、技術習得の難しさ、村社会に入っていく人間関係の壁など、新規参入者にとってはあまりにもハードルが高すぎる。

教える側や制度が悪いわけではありません。現場は常に忙しく、余裕がない。結果として、「入れない」というより、「ハードルが高すぎる」状態になっているのが実情だと思います。その一方で、有機や自然栽培といったやり方は、小規模でも始めやすく、組織に属さなくても完結しやすい。直販や体験、ストーリーとの相性も良く、既存の流通に乗らなくても成立する余地があります。当然経営がそれで成り立つのかという別のベクトルのハードルはかなり高いですが、、、


もう一つ、あまり語られないけれど重要な理由があると思ってます。それは「孤独」です。

移住してきたばかりで、誰に聞けばいいのかわからない。既存の在り方にと同じ土俵くらべると圧倒的に格下になってしまう、失敗を見せるのが怖い。地域の中で手探りで誰かを訪ねる勇気が出ないが地域の外だったり移住者系コミュニティには有機でやっていこうと思える同志たちとつながりやすい


そうした状況の中で、「地域の中で、モチベーションが下がるようなことを言われず、違う土俵で自分の責任で完結できるやり方」を選ぶのは、とても自然なことだと思います。

慣行と有機、正しいか間違っているか、という話ではありません。ただ、入口を閉じた結果、別の入口が選ばれただけ。そこを理解しないまま「また有機か」「理想論だ」と切り捨ててしまえば、分断は深まる一方です。

これは農業だけでなく、お茶の世界にも、そっくりそのまま当てはまる話だと思っています。



防波堤としての「格式」は、何を防げたのか

  • ちゃんと飲んでほしい

  • ちゃんと知ってほしい

  • できれば次の世代にも続いてほしい

だからこそ、趣旨としてはもっと普及してほしいはずなんです。

ただ問題は、「普及してほしい」と「雑に消費されたくない」が同時に存在してしまうところ。ここが難しい。


もちろん一部の人に閉じたいわけじゃない。でも、

  • 軽く扱われるのは怖い

  • 文脈をすっ飛ばされるのは耐えられない

  • 外だけが儲かる構図は見たくない


その結果として、外側からは守るために閉じているように見えてしまう

おそらく多くの人は、「閉じたい」のではなく「ちゃんと伝わった形で広がってほしい」


そして格式や正しさを強調してきた背景には、「簡単に持ち去られたくない」「外側だけが儲ける構図を防ぎたい」という思いもあったのだと思います。

それは、良い動機だと思います。ただ、結果としてどうなってるのか。

入口を閉じ、内側を固めた結果、担い手は減り、飲み手は遠ざかり、内部は細っていった。

そして皮肉にも、本当に防ぎたかった構図は、防げなかった。


実際に抹茶抹茶言ってるのは日本人ではなく外国人です。


「外に奪われないために閉じてきた」のではなく、 「日本一のブランドにしたい」という純粋な思いで、 ひたすら基準を上げ続けてきた。

その結果として、入口が高くなりすぎてしまった、という方が実感に近い気がします。



守るべき大切なものは「形」ではなく「主語」。対立ではなく、翻訳、お互いに歩み寄る姿勢を!

本当に守るべきだったのは、製法や作法そのものではなく、

誰が、どう関わり、どう報われるのかという主語だったのではないでしょうか。

移住者には移住者にできることがある。新規参入の見習いには、見習いとしてできることがある。ベテランには、ベテランにしかできない役割がある。


問題は年齢や年数ではなく姿勢ではないでしょうか。

いわゆる老害と呼ばれる側が、若者を理解し、大胆に託していこうとする姿勢を持てるか。

いわゆる若害と呼ばれる側が、先人の努力を理解し敬意を持ち、学ぼうとする姿勢を持てるか。この相互理解と努力が成立している文化や地域だけが、生き残る。それができない地域は、正直、かなり危ういと思います。


閉じる勇気より、伝える覚悟を

今、必要なのは対立ではありません。翻訳です。

価値観の違いを、敵ではなく、文脈の違いとして言葉にすること。


品質や誇りを守りながらも、入口や表現、関わり方においては、もう少し多様性を許容していく。 そのバランスが、これからの時代には必要なのだと思います。


実際に、僕も10年もやっているが故に

八女茶を訪れたい→まずは天空の茶屋敷&坂本治郎を訪ねてみよう

という流れは全体からはほんの一部でしょうが明確に存在しています。


天空の茶屋敷の主であり、市議会議員であり、英語ができて日本中世界中につながりがあるからこそです、、、、、だからこそ、これまでの流れの敬意を尊重する気持ちは忘れず、僕はもちろん八女茶を代表して語る立場ではない。ただ、興味を持つ人たちへの入口に立ち、その先に本物があることを伝える役割でありたいと思っています。


完成させるのではなく、続かせること。閉じることより、伝えること。

それこそが、先祖からこの土地を借りてきた私たちが、次の世代に返すときの、最低限の礼儀だと思うのです。




※余談

今思えば「天空の茶屋敷」というネーミングセンス、今思えばかなり絶妙だったと思います。当時無知だった自分は一歩間違えたら「八女茶体験ゲストハウス」とか名づける事故を起こしかねなかった、、、、


町の名前を使ったゲストハウス自体は、実際に全国にたくさんあります。「〇〇ゲストハウス」「Guesthouse 〇〇」といった名前は決して珍しいものではありません。

うちの地元でも黒木交通や黒木建設のように、地名を冠すること自体はごく自然なことですし、それが地域全体を代表している、という意味にはなりません。


一方で「八女茶」という言葉は、単なる地名ではなく、長い歴史や品質、多くの人の努力や誇りを背負った地域ブランドでもあります。

もし当時、僕が「八女茶ゲストハウス」「八女茶体験宿」などと名乗っていたとしたら、全く悪気のない大事故をおこしてしまっていたかもしれません。


本当に紙一重だった、、、



コメント


bottom of page