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参政党にみる、ポピュリズムに対して思う事

更新日:8月1日

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こんにちは、八女市議会議員の坂本治郎です。


今回は、今話題の「参政党」について、そしてそれを通じて見えてくるポピュリズムのあり方について、自分なりの視点から書いてみたいと思います。


「そもそも政治家って感情マーケティングによる人気商売じゃないか)という論は置いておいて、ここで言うポピュリズムは「共感される努力」よりむしろ「感情を煽って熱狂を生む手法」だと定義します。


ちょうど参議院選挙戦の今、僕のネットフィルターによって政治の話ばかりが上がってくるようになってるからなのか、やはり参政党批判一色になっています。

真偽はわかりませんが、ネット上では「参政党潰し部隊」が出動しているのでは?

と勘ぐってしまうような流れもあります(これは僕の個人的な憶測です)。それほどに、参政党が脅威と見なされるほど存在感を増している証拠とも言えるでしょう。




まず、僕は参政党という存在そのものを好意的に見ています

ただし、支持者でもなければ批判者でもありません。


もちろん、一部の主張には強く共感しています。

「日本人ファースト」……とまではいかなくても、訪日外国人からしっかり税金を徴収できる仕組みや、外国人による土地の購入に対しては、適切な規制を設けていく必要があると思っています。また、国防の上でのスパイ防止法案など。進みすぎたグローバル化の中で、外国人を排除するのではなく、国民の安心をまもること、自国民をきちんと優遇するのは自然な国の在り方だと思いますしどこの国だってそうしてます。



それから、終末医療と社会保障費について、僕が祖父母を看取ったときに、強く感じたことがあります。

それは、「管につながれて延命されている姿」は、本当に幸せなのだろうか?という問いでした。

もちろん医療はありがたいものですし、延命治療も選択制です。けれど、現実には国が社会保障費から多くを負担してくれるからこそ、家族は「やるか、やらないか」の判断を冷静にできなくなってしまう。結果として、「とりあえずやります」と思考停止的な選択になりやすい状況があると感じました。

ロジカルに考えれば、そこにかかる多額の税金を、もっと別の目的――たとえば子育て支援や教育、未来への投資――に使った方が、社会全体としては持続可能なのでは?と感じざるを得ません。

終末医療をゼロにしろという話ではありません。でも、たとえば自己負担割合をもう少し上げるなどして、「本当に望む人だけが選ぶ」仕組みに近づけることはできないでしょうか。

というような話をすると、「命の値段を語るのか」と非難されそうです。でも僕は、政治家としてこそ、このテーマに向き合わなければいけないと思っています。

なぜならこれは、「命とは何か」「生きるとは何か」を、個人と社会が改めて見つめ直す問いだからです。(この点に関して、最近見た映画のMe Before youが安楽死がテーマでした、是非見て欲しいです)

残された人の気持ち、次の世代への負担、制度の持続可能性――どれも大事です。

だからこそ、今こそ僕たちは、価値観をアップデートする時期に来ているのではないでしょうか。ここのタブーの問いに関して強く訴えてるのは参政党であり、この点は強く共感します。

実際に僕の母は死ぬときは「延命治療は絶対にしないでくれ」と前々から言ってます。この点に関しては母は立派だと思ってます。




これまでの流れで感じたのは、「参政党の現象」は単なる一過性のブームではなく、日本社会に長年蓄積された“不安”や“怒り”の可視化であり、民主主義のリアルな揺らぎそのものだということです。


現代の世界情勢を見ると、行き過ぎたグローバリズムに対する反動としてポピュリズムが再燃しています。アメリカのトランプ元大統領をはじめ、フランス、ドイツなどヨーロッパ諸国でも極右政党が躍進しています。ちなみにドイツでは、ナチスの影を連想させるような政党すら台頭しており、それまで選挙に関心のなかった層の投票率も急上昇しています。


つまり、世界の風向きは参政党などに吹いてるといってもいいのかもしれません。



過激な言葉の裏にある現実的な構造

ポピュリズムと言えば、「扇動的」「感情的」「極端」といったネガティブなイメージがつきまといます。確かに参政党には、外国人に対する強い警戒感や、ワクチン・教育・食の分野における陰謀論的な主張も散見されます。


しかし大事なのは、「なぜそれがシェアされるのか?」という視点です。

過激な言葉は確かに危うい。けれど、その言葉がなければ「誰にも届かない」のが誰でもメディアとして発信できる今の情報過多の時代です。そうなったら政治に無関心だった層に届けるには、強い言葉や感情を揺さぶる言葉が必要です。


無難で丁寧な言葉で説明すれば、眠くなってしまう。一方で、多少誇張でも極端な言葉で訴えると、わかりやすく、共感と拡散を呼びやすい。

つまり、戦略的にあえて尖った言葉を選んでいると想像できます。


そこに“批判する覚悟”があるのなら、表面的な批判ではなく、冷静にその中身にこそ目を向けるべきだと思います。



三宅洋平と故ムヒカ大統領


僕自身、政治に関心を持つようになったきっかけは、ウルグアイの故ムヒカ大統領のリオデジャネイロのでのスピーチでした。

そして日本ではちょうどその頃、三宅洋平さんが街頭で輝いていたのを覚えています。三宅さんが2013年、2016年に選挙フェスとしていい感じのBGMで街頭演説し現政権を批判する、政治に興味がなかった若者が街頭に集まり、感動して泣きながら手を振る姿が話題になりまして、Youtube上で僕もそれに魅入ってました。


三宅さんの主張はリベラル寄りで、反原発、反TPP、脱アメリカ依存などでした。対して参政党は右派・保守色が強く、アンチ中国・伝統回帰型の主張が中心です。しかし、構造はよく似ています。


  • 政治に無関心だった層を動かした

  • SNSや街頭演説を主軸に共感を生んだ

  • 「既成政党は信じられない」という不信感から出発している

つまり、主張の方向は違っても、“動機”や“拡がり方”は驚くほど似ているのです。



れいわ新選組との比較

れいわ新選組もまた、ポピュリズムの例としてよく挙げられます。

山本太郎さんは、もともと俳優として人気がありましたが、反原発運動に身を投じ、その後政治家として立ち上がりました。山本さんもまた、「届かない言葉は意味がない」として、時に過激な言葉を使いながら、徹底的に弱者に寄り添い“見捨てられた側”の声を代弁しています。


れいわ新選組が「左からのポピュリズム」なら、参政党は「右からのポピュリズム」。


れいわ:反原発・反アメリカ依存の象徴

参政党:反ワクチン・反中国・行き過ぎたグローバル・伝統回帰の象徴


どちらも時代の反映です。参政党の方が勢いが強いのはSNSインフラが整った今、よりタイムリーに広がりやすい構造を持っていると予想しています。

そして世界の風向きを考えても参政党は追い風に乗っています。


僕自身の原体験として

バトルロワイアルが話題になっていた頃ちょうど、ちょうど僕の現実世界では映画と同じ中学校3年生だったこともあり没入感が凄かった、その映画の中で山本太郎さんはヒーローでした。

そして元旅人としてヒッピー文化やミュージシャン、アーティスト達にもまれていた僕は、三宅洋平さんのメッセージに強く共感していました。


当時政治のことを何も知らなかった僕にとって、三宅洋平さん、そしてその流れから「れいわ新選組」は政治への“入り口”だったのです。だからこそ、今、参政党を通じて政治に関心を持った若者たちを見ると、その気持ちはよくわかるのです。


「保身を捨てた」カッコいい3人の政治家

そして忘れてはいけない、もう一人、僕がカッコいいと思う政治家は石丸伸二さん

右左というくくりではなく形骸化してしまった政治へのアンチテーゼで絶大な支持を得ました。


山本太郎さん、神谷宗幣さん、そして石丸伸二さん。この三人は方向性こそ異なるものの、共通しているのは「保身を捨てて立ち上がった」ことです。


山本さんは、俳優としての名声や富を捨てて政治へ。

神谷さんは、自民党という大政党での安定ルートと甘い汁を捨て、イバラの道へ。

石丸さんもまた、エリート官僚という安定の道を捨て、政治の世界への挑戦を選びました。


そこの生きざまからの政治活動には誠実性を感じる

カッコよさというのは、こういう“言葉に魂を乗せる”生き方に宿るのではないかと僕は思います。




民主主義とは?

「参政党は危険だから議席を与えてはいけない」というようなコメントも耳にしますが、それは本当に民主主義的でしょうか?


民主主義とは、“安全な意見”だけを残し異質なものを排除する仕組みではありません。時に極端な声も議会に出てきて、議論の中で淘汰されたり昇華されたりすることこそが重要です。


じゃあ逆に、どこだったらいいのでしょうか?

むしろ現政権がこの30年で日本を衰退させたことは、冷静に見れば否定しがたい事実です。無難と思われてる現政権に任せることにより安定して衰退していってるのです。

そこに疑問を持つ声が現れ広がっていくのは、むしろ健全な民主主義の証です。



ポピュリズムは“出口”ではないが、“入口”にはなり得る

ポピュリズムは社会を混乱させる危険もあります。最悪の例はナチスです。

でも、それが“見過ごされてきた感情の見える化”であることもまた事実です。


ポピュリズムは、政治への関心が絶たれた人々にとっての“入口”になる。僕にとってのれいわがそうだったように、誰かにとっての参政党もまた、その役割を果たしているのだと思います。


頭ごなしに否定せず、日本を守るために共感できる部分には共感し、冷静に中身を検証する。そのバランス感覚こそが、今の日本にとって必要な成熟だと僕は感じています。


誰がどの政党を支持するかは自由です。だからこそ、相手を否定する前に、「なぜその声が出てきたのか?」を問う姿勢を持ちたい。

僕自身、地方議員として日々さまざまな立場の声に触れる中で、こうした「耳を傾ける姿勢」こそが、政治の原点だと思っています。



大丈夫です。参政党を支持している方、まったく間違ってなんかいません。

確かに政策の中には、議会の中で通らないような極端な提案もあるかもしれません。でも、そういった声があることで、既存政党が発言できなかった領域にも論点や焦点が当たる可能性があるのです。


だから、僕はそういった“新しい風” ”新しい声”が議席を得ていくことを、民主主義の希望として見ています。


これが、今の僕のポピュリズムに対する考え方です。








ちなみにですが……今回の僕の投票行動が=好きな政党とは限りません。




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