10日間の光り輝く島の旅~スリランカの旅行記~
更新日:2019年3月24日
今回3ヶ月間のオフシーズンの研修旅行、インドヨガ留学を終えて、10日間スリランカ、17日間ミャンマーを訪問して日本に帰る日程です。
ということで、64カ国目、スリランカ。

・地図でいうとインドの右下にマンゴーを落っことした様な島であり、北海道より小さいながら人口は2100万人ほど。
・仏教国
・僕の様な広く浅いタイプの旅行者からぱっと見れば、食文化、顔立ちや民族衣装などでいえばインドとかなり近い感じ。
・だけどインドやバングラデッシュから比べれば全然ゴミゴミしていなくて綺麗。
・物価は旅の仕方にもよるけれど僕からみればクオリティを考えたらインドより安い気がする。
・公用語はシンハリ語、タミル語、英語も結構通じる。
・首都はスリジャヤワルダナプラコッテ、バンコクの正式名称を除けば世界一長い首都名ということだそう。
ちなみに、この首都名は昔の大統領の名前から来ているそうなんだけど。この人こそ、僕ら日本人からすれば絶対に感謝を忘れたらいけない人なのです。
というのは日本とスリランカの友好の話。
第二次世界大戦後、敗戦した日本は戦勝国のアメリカ、イギリス、ロシア、当時の中国(一応、今の台湾政府)からの4国による分断統治計画があったようです。

その後の日本の命運を決めるサンフランシスコ講和会議の時、この時のスリランカの大統領ジャヤワルダナさんが。
それまでの日本の功績をたたえて、どうか独立国家としての存続をさせて欲しいと強く主張したということです。
僕らの教育は戦後GHQよって作られました。それは彼らにとって都合のいいように作られた物なので、戦後の日本がどう動いたのか、なんてあまり学んでないし、戦時中の日本が悪かったと学んでいる、二度とアメリカに逆らわないように、尊厳、愛国心など持たない様に骨抜きにされた教育を受けています。
なのでこの話はあまり知られてない事実だと思いますが、絶対に日本人みんなが知っておくべき事だと僕は思うのです。
当時の時代背景では欧米諸国にほとんどのアジアの国が占領されていく中で、最後の最後まで戦う日本はどれだけの同胞アジア人たちに勇気をもたらしたか。
ここら辺の僕ら側の歴史観を諸外国の人と話すと熱くなって口げんかにまで発展するから考えて話さないといけないけれど
お隣の国々はそれぞれが都合のいいように歴史はねつ造されているし、僕ら日本人も、いや世界中が戦勝国の書いた歴史を学んでいるから、本当の当時の日本がどうだったかなんて、悲しい事に真相はねじ曲げられて、真実を学べる場所は限られるようになってしまった。
ある側面からみればイケイケどんどんでアジア諸国を侵略していったとされている日本ではあるかもしれないけれど、日本が戦ったおかげで救われた国々が沢山あるのも紛れもない事実。
実際に当時の時代背景を考えれば生き残る為に仕方のない戦い、強くなければ欧米に侵略されてしまうから。
アジアで唯一、欧米列強に肩を並べて最後の最後まで戦い抜いた日本
実際に日本から勇気をもらって独立を果たしたとしている国も沢山あるそうです。
そんな日本の偉大なる功績、偉大なる歴史を尊敬し、当時のスリランカの大統領はそう主張したそうです。

実際にジャヤワルダナ大統領の発言がどのくらいの威力があったのかってのも賛否両論ありますが、そう主張してくれたのは事実、議会内の沢山の人がその演説に感銘を受けたといわれています。独立を維持できたその後はスリランカと日本はすぐに友好国として国交を結びました。