炎上する民主主義と、静まり返った村社会はどちらが健全か?
- Jiro Sakamoto

- 2025年12月17日
- 読了時間: 3分
更新日:1月12日
だいぶ前に炎上していたネタですが
熱海市長選出馬に立候補を表明していた徐コウヨウさんにかなりの批判や炎上が起きていました。ここには賛否あるだろうし、見ていてあきれる人も多いと思います。
ただ、僕の観点はちょっと違うかもしれません。
感情を一旦抑えて、少し冷静に考えてみると、別の見解が見えてきます。
それは、「そもそも、ああいう人が出馬できる」という事実そのものです。
政治運動があり、応援もあれば落選運動もある。支持も不支持も、好き嫌いも、すべて表に出て議論される。これは一見するとカオスであり、騒がしく、未熟にも見えるかもしれません。
しかし僕は、「むしろこういう人でも出れる社会や地域の方が、よっぽど健全だな」と感じました。なぜなら、少なくともそこでは、政治が政治として成立しているからです。
一方で、地方の小さな自治体、いわゆる田舎の政治はどうでしょうか?
表向きは穏やかで、選挙も大きな波風は立たない。しかし実態は、出馬する前から「空気」が読まされ、誰がどこの出身か、誰の了解を取っているかが問われ、政策よりも人間関係や縄張り意識が優先される世界です。
僕も出馬のさいには村社会からいろいろ言われました『恥ずかしいから出ないで欲しい』とか、同じように蓑原市長も『八女をなめるな』、『まだ早い』など、出馬を制止するような声が大きかったと言っております
そして選挙になればなったで、表で議論されない代わりに、裏ではデマが流れ、怪文書が出回り、誰が言ったかわからない噂話が出回る。
それは政治運動ではありません。ただの村社会の自己防衛です。
地方の政治には東高西低という言葉があるのですが
こういった都市部の落選運動は、少なくとも論点があります。「この人のこの政策には反対だ」「この姿勢は支持できない」だから有権者が判断できる。
しかし田舎では、「出るな」「迷惑をかけるな」「波風を立てるな」という、存在そのものへの圧が先に来る。
炎上はしないけれど、挑戦も生まれない。落選は少ないけれど、再挑戦も許されない。
実際にあっちこっちの地方では無選挙ばっかり、、、
僕だって出なければ八女市議会は無選挙だったのです。
さて、ここからは、あくまで注目されてる熱海市長選に対する個人的な思いです。
僕は、徐こうようさんはもし帰化が間に合えば、どうか世論や圧力に負けないでちゃんと出馬して、正面から戦ってほしいと思っています。そして、民意を試す場として、結果がどうであれ、選挙の中で民意もって評価されてほしい。
もし落選であったとしても、それは失敗とかではなく。むしろ、民主主義がきちんと機能した証拠だと思います。落選は「排除」ではなく、ただ「違う」という、有権者からの明確なメッセージ。それを受け止められる社会こそが健全だと思います。
(まあしかしながら彼が本当に勝って市政を運営したいつもりなのか、それとも出馬には別の狙いがあるのか、、、分からないですが、それは邪推ですね。それ込みで誰だって出馬できる地域社会の方が断然良いと思うのです)
叩かれても出られる。出た結果、負けることもある。
僕は市議会議員として、議場の内側を経験し。そして外から来た人間として、村社会の論理にも触れてきました。
その立場から見ると、炎上する民主主義の方が、静まり返った民主主義よりも、ずっと健全です。静かな社会は、一見平和に見えます。でもその静けさは、「誰も声を上げない」のではなく、「声を上げると終わる」から生まれていることも多い。
騒がしくてもいいと思っています。議論があって欲しいし、対立があっていい。少なくとも、それは表に出ている。本当に怖いのは、何も起きていないように見える場所で、すべてが水面下で決まっていくことです。




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